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車の通りも疎な深夜の道路で二時間近くも僕を待っていた彼からそんな言葉が出るなんて。
今夜も彼と一瞬にいられる喜びは大きいがやはり今日一日の彼の事が心配の方が大きくて。
「うん。いいけど大丈夫?」
「何が?」
「いやだから……今日……あっいや!疲れてるんじゃないかなって!」
「あー…まぁ、じゃどこか休める場所探そ」
トコトコと当てもなく歩く。もちろんこんな時間だ、店はどこも閉まっていて唯一コンビニの明かりが見えるだけ。
「あっ!ここは?」
「えっ、これラブホテルだけど……」
突然止まった彼が言う"ここ"とは、今時の洒落たネオンが煌びやかなホテルじゃなく少し年期の入った昔からある暗いラブホテル。
言ってしまえばただの古びたボロホテル。
「うん。いいんじゃない?ほらタクシー代より全然安いよ!」
塗装が剥げて文字がほとんど見えない外の料金表を一生懸命顔を近づけて見ている彼。
「まぁ僕は全然いいんだけど」
「よし、決まり!なんか幽霊出そうだけど出たらごめんね!」
ハハハッと笑いながら、一人通るのがやっとな入り口を進んでいく。数時間前までの思い詰めたような顔とは別人のような顔の彼。
もはや心配かけまいと明るく振る舞っているようにも思えるそんな彼の背中を見つめながら後を追う。
"一人でいたくない"なんて言われたら放っておけるわけない。
「ほら、ガラ空きだよ。選び放題」
部屋のパネルはどこもライトが付いていて利用者はいない様子。冗談じゃなく本当に幽霊が出そうだ。
「うーん、何処の部屋がいいかな?」
さすがに彼と二人きりでラブホテルに行く流れになると緊張を通り越して何だか彼に申し訳なく思えてきた。
これもきっとオイルの筋書き通りなんだろう。好きでもない男とラブホで宿泊なんて、後に記憶から消えるとしても彼の人生の汚点になりかねない。
「ねぇ聞いてる?」
「あっ、、うん。どこでもいいよ……けど本当にこに泊まっ……」
彼はピッと適当に部屋ボタンを押して転がった鍵を取ると"4階だよ"と振り向いて僕の目の前でチャリチャリと鍵を振った。
古いエレベーターは今にも停止しそうにガタガタと揺れている。彼は上の文字盤の上がってく数字をただ見ていた。
部屋に入ると外観のイメージに比べて意外と綺麗だった。職業柄こういった場所を来る事はあるが、ボロさを踏まえもこんな状況での利用は初めて。今はADでも撮影でもないこの状況に、初めてラブホに来た少年の気持ちになった。
「ふーん。値段の割には全然いいじゃん」
そう言って鞄を床に置いてパフっとベッドに飛び込んだ彼。ベッド上のパネルをいじり始め、赤やピンクや黄色のカラフルなライトをパチパチとしながら楽しむ彼を見てちょっとホッとした。
「あっ、尚翔お腹空かない?お弁当食べる?」
「お弁当?」
「内緒だけど撮影で余ったお弁当さ、時々持ち帰ってんだよね」
パンパンのリュックから二つお弁当を出してテーブルに置いた。
「ワルっ!泥棒じゃん」
「日頃こき使われてんだからこれぐらい許されるでしょ。帰って食べようと思ってたけど、ちょうど二つあるし一個あげる」
ベッドから立ち上がって小さな冷蔵庫を開けてうーんと悩む彼は、昨日家に来た時と同じリラックスした表情をしていた。
「ビール、ジュース、お茶どれがいい?」
「そうだなぁ、ビールはぶち撒けてしまいそうだしお茶がいいかな」
「 確かに。またビール浴びるのはごめんだし、俺はコーラっと」
現場の冷え切ったお弁当をラブホテルで彼と食べているなんておかしな光景だ。幽霊を見るよりある意味、奇妙な現象かもしれない。
小さな音で有線なのかクラシックの音楽が流れている。深夜の優雅なディナータイムとばかりに黙々と食べ進めている。
今ならあの話題を聞けるかも知れないと話を切り出した。
「ねぇ……そう言えば先輩から聞いたんだけど専属契約の話、、きてるんだって?」
「……あぁ聞いたの?」
「うん今日ね……A'zoneでしょ?凄いね!大手だし、男優さんに専属の話くるなんてなかなかないでしょ!」
「別に凄くなんてないよ」
「あそこならウチの倍くらいのギャラありそうだし、今みたいにいろんなメーカーの作品に何本も出なくてもよくなるもんね」
「まぁそうゆうこと……かな」
「……それで話は受けるんだよね?」
その言葉に彼の箸の手が止まって真っ直ぐ顔を見つめられた。何だか気になってる事聞いただけなのに墓穴を掘ってしまった気がした。
「和磨はどう思う?」
「えっ?」
「……もし和磨が専属の話受けて欲しくなければ考え直すかも、、」
僕の心はぐらぐらに動いた。だけどこれがオイル効果で言ってるんだとしたら彼の本来の意志とは別物だ。
"未来を変えない"とあの約束を破ってしまう事になる。オイルの効果が解けて今までの二人に戻った時、彼の大事な未来を僕の我儘で消してしまうなんてあってはならないんだ。
「……僕は尚翔がしたいならやった方がいいと思う」
小さく囁くようにそう言った僕を見て箸を置いた彼はコーラをグイッと飲んだ。流れるクラシック音楽が僕の心を表しているかのように切ないピアノ協奏曲に変わる。この曲はショパンだったかバッハだったか。
そんなどうでもいい事考えて少しでも楽になりたくて本当の気持ちを誤魔化ごまかそうとしたんだ。
「そうだよね……正直言うと今日の撮影やりたくなくて、、どうしてか頭も身体もいつもみたいに言うこといかなくて」
突然話始めた彼の言葉をお弁当のおかずを突っつきながら聞いていた。だってどんな顔して聞けばいいかわからないから。
「何でだろう……和磨に見られてると思うと耐えられなかった」
「えっ、、?」
「もしかして……俺、和磨の事好きなのかも」
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