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特急の電車は次々に景色を変えて行く。窓からの景色はビルだらけの東京から北へ北へ、山や田んぼが見え始める。
終点のアナウンスが流れて目的地が明確になった。
着いたのは旅行雑誌なんかで何年も連続で行きたい温泉地ナンバーワンを獲得している人気温泉が多数ある街。もちろん全く初めて訪れた場所。
周りには子どもを連れた家族やカップルが手を繋いで雑誌やスマホでお店を調べたり写真を撮って楽しんでいる。
男二人はあまり似つかわしくないなと彼の方を見ると空を見上げて背伸びをしていた。
「んん〜〜!風が気持ちいい!やっぱ東京とは違うな」
グーッと体を伸ばした彼は拉致された数時間後に東京から離れた土地で深く深呼吸をしている。
何とも不思議でまさか彼とこんな場所にいるとは想定外だったが残り少ない時間を一緒に居られて、思いを伝えるチャンスでもある。
秋風が少し強く吹いて紅葉した葉がゆらゆらと揺れた。気付けばきっちりセットされた髪型もこのままでの慌ただしい数時間のせいで崩れ完全オフモードの彼に変わっていた。
「ちょっとあっち行ってみよ」
彼が僕の手を繋ぎ引いて歩きだしだ。突然でビクッと反応してしまったが、腕では感じられなかった掌の暖かさと細い指が絡み合って少し照れた僕の顔をじっと見る彼。
「ん?どした?」
「あっいや、何でもない!」
ズンズンと闊歩少し人がザワザワと集まった場所には、切り立った岩肌に紅葉の何色にも重なった葉のコントラストに埋め尽くされた絶景が視界一面に広がっていた。
「ねぇ、ここ景色見渡せてすごい綺麗だから写真撮ろうよ」
「いいよ。じゃそこ立ってこっち見て」
「違う!一緒にって意味だよ」
「えっ?あ、、ごめん。そうゆうこと……ね」
「そう!……もう撮る側と撮られる側の関係は終わりにしたいんだ」
彼と出会って2年弱、レンズ越しにいたのはいつも彼と女優だった。だけど今は同じレンズに写るのは僕。彼がいう"そうゆう関係は終わり"は仕事以上の関係でいたいと言う意味なら、僕が願っていた事と同じだ。
人の力を借りて今この状況があるのは違いないけれど今とても幸せでずっとこの時間が続けばいいのにと彼に身体を寄せた。
「じゃ撮るよ!せーの!」
それから"お腹すいた"と言えば現地名物を食し、"疲れた"と言えばベンチを探して休む。まるでワガママ彼女に振り回されてるデート中の彼氏の気持ちだ。
20歳の時に別れてきり4年間恋人はいない僕にとっては懐かしい感覚だった。
彼と付き合う……そんな高望みはしない。彼が僕を頼って楽しむ姿が見れるだけで嬉しんだ。
「ねぇ、そろそろ泊まる場所見つけた方が良くない?」
そう言われてみれば行き当たりばったりで訪れた温泉地、下調べはおろか予約なんてしてるはずもない。陽が落ちるのが早くなり始めた秋の紅葉時期の人気温泉街の宿やホテルに空きはあるのだろうか。
「そこら辺にいくつか宿あったから突撃してみようよ」
「そうだね、当たってみよう」
せっかくここまで来たら多少高くても綺麗な落ち着いた部屋で美味しい料理も食べたい……けれど、このまま見つからなければ昨日の幽霊ボロホテルの二の前になりかねない。それだけはなんとか避けたい。
三軒、四軒……歩きながら空き部屋を探すがどこも満室。昼と夜の温度差がシャツ一枚の彼の身体に直撃し少し寒そうにしている。
僕は脱いだ上着を彼の肩にかけた。こうゆう時、出演者の身体を気遣うまだ撮影時のADの感覚が抜けてないんだって思い知らされる。
「薄いシャツじゃ寒いでしょ。これ着て」
「僕は大丈夫。だいぶ歩いて温まって暑いくらいだから」
「うん。ありがとう」
そしてだいぶ歩いて見つけた五軒目の宿。なかなか立派な外観に達筆な和風看板。そろそろ不安になりかけた僕は声も小さくダメ元でフロントに声をかけた。
「今日これからですか?ちょっとお待ち下さい。えーっと、、、あっ!一部屋なら空いてますよ」
「本当ですか!?じゃ二人でお願いします!」
とりあえず確保した今日の寝床にホッと胸を撫で下ろして言われた通りに名前や住所をすらすらと書く。僕と彼の本名が並んだ宿帳が何だか信じられない。
案内された部屋には二人で泊まるには広く庭も見渡せる贅沢な和室。入るや否や二人でキョロキョロと忙しく顔を動かした。従業員は簡易的な部屋の説明を言うとスッと出て行った。
「空いててよかったね、すごくいい部屋だし。今日はゆっくり出来そう」
「まぁ昨日の部屋が悲惨だったから余計によく見えるよね」
「そう?アレはアレで楽しかったけど」
僕が昨日のボロホテルを面白ネタとして言うと彼が笑いながらそう言った。
「あっそうだ!ここならちゃんとした星見れるかも!もっと更けたらさ、外出てみようよ」
「うん。いいよ!行ってみよう」
「あっこれ、、浴衣着てみる?」
押し入れを開けた彼が言うと、綺麗に折り畳まれた浴衣が二着を取り出す。これぞ旅館といった紺色に古典模様の浴衣に帯、そして羽織りがあった。
貸したパーカーを脱ぐとシャツのボタンを外し始めた彼。僕は何となく反射的に目を逸らしてか見ないようにした。
「どうして?……見慣れてるでしょ、俺の裸なんて」
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