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"じゃあな"とオフィスビルの入り口で芝野と別れバス停に向かう。1時間かけて出勤している芝野とは対照的にバス15分の距離にある自宅。
バス停であと5分で到着するバスをコートのポケットに手を入れながら待った。
少し混み合っているバスの入り口付近に立ちイヤホンで3曲ほど聴くと着いた最寄りバス停。そこから歩いてすぐ見えてきた"赤平電機工業"の看板。
この時間はとっくに仕事は終えているはずのに電気がついていて機械の音が工事内に響いている。
「あっ、玲生くんおかえり!」
顔を覗かせた僕に声をかけたのは使いこんでいる紺色の作業着でタオルを頭に巻いたザ・職人という風貌の男性。この工場で一番長く働いている通称みやさんは今年還暦を迎えた。
『この時間までまだ働いてるんですか?』
「キリのいい所までやって帰りたくてな。玲生くんはいま帰りか?」
『はい、そうです』
「どうなんだ仕事の方は?えっと、、結婚相談所かなんかって言ってたっけ?」
東京下町にあるいわゆる町工場が僕の実家。3代目の父親が社長をし母が経理事務をしている。従業員は5人いて若くて30代後半、大体が40代50代の小さな工場だ。
「大変だろうけどまだ若いし色んな経験するこっちゃな!あぁそうだ。社長にもう終えて帰るって伝えといてくれないか?」
『わかりました。じゃお疲れ様でした』
工場の同じ敷地内に自宅がある。父と母と僕の3人暮らし。姉は結婚して県外で旦那さんと幼稚園に通う娘と暮らしていて会うのは正月くらい。
『ただいま。父さん、みやさん帰るって』
「ん。そうか」
テレビの前で新聞を広げている父親の背中に言った。二階の自室で着替えをしてキッチンに降り用意されている夕食を食べながらスマホを触る。
一定の距離を保っている父親とは特に顔を合わすわけでもなくテレビから流れる音だけがこの場の空気を埋めていた。
大学を卒業して新卒で入社した会社を半年で辞めた。それから就職しては退職を繰り返し、今の仕事が4度目の就職。母親とは並程度に会話はするが父親から仕事について聞かれた事はほとんどない。
29歳の息子と父親との関係とはきっとこんなもんだろう。ただ僕もあまり距離を縮めたくない理由がある。
来年30歳になる息子がふらふら仕事を取っ替え引っ替えしていればいい加減に工場の今後を考えても父親に言われかねない。
"工場を手伝え"の言葉を。必死に就職活動をするのはそんな事柄から逃げる為でもあった。
『ごちそうさま』
そんな静かな夕食を終え部屋に戻るとパソコンの電源を入れてオンラインゲームを起動させる。あとはシューティングゲームにひたすら夢中で下手すれば夜中3時頃まで指先を動かしている。
そして仮眠程度の睡眠で出勤時間を迎える。
大体僕の日常はこんなもんだ。仕事も家庭も嫌な事、面倒な事から逃げてきた結果が今のこの状況だ。そして恋愛からさえも逃げて何年になるだろう、まさに20代最後の歳に突きつけられた現実。
そんな中、転機は突然訪れた。
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