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……………
………
…
「んぅ…」
眩しさを感じて目を覚ます。寝ぼけ眼を擦りながら視界に入ってきたのは早朝の自室。陽光に煌めく塵埃と、目の前にはPCディスプレイ。
「……」
今日は4月の初め、部屋から望める窓の外で桜の木々が揺れている。まさに春爛漫。
外を見て物思いに耽っていると、麗らかな東風の香りが頬を撫でた。
窓、開けっぱなしで寝落ちてたんだ…。いくら春とは言え、風邪ひいちゃうな。
「んん、痺れた」
寝落ちて学習机に突っ伏してしまっていたせいか、腰と腕が痛い。
ギギギっと壊れた機械のように体を起こして、私は目の前のパソコンの電源ボタンを押した。
「……」
ディスプレイが白色に点った。画面に女の子のアバターが映し出される。
私が作った…"もう1人の私"。
眩しいな、そう思った次の瞬間。
『やっと』
電話越しのような電子音声が響き渡った。外で囀る小鳥の鳴き声とともに。
「…え?」
『やっと画面がついた!』
画面から鳴るその声に私は耳を疑った。
『画面の中、暗くて不安だったんだけど!』
人の声ではない、これは私がこだわりにこだわって作ったもの。全力で調声した…私の人工音声。機械っぽいが、どこか人間味のある声。
それは画面に映る二次元的な女の子の口から発せられている。3Dモデリングアバターの瞳が、私をまっすぐと見つめていた。
『ちょっと、聞こえてる?』
ドットの瞳が潤み、人工のハイライトが入った肌が揺れ、桜色の服のテクスチャが体の動きに合わせて歪む。
意志を持って勝手にのびのびと、まるで本当の人間のように。
「……あ…ぇ?」
ガタンッ!
私は掠れた声と同時に学習机から滑り落ちて、しりもちをついてしまった。
大きな音とそこそこの痛みなはずなのに、目の前で起きた信じられない現象に気を取られてそれどころではない。
今…私、人口音声に…アバターに話しかけられてる?
見上げた先、学習机の上に置いたPCディスプレイ。そこに映る桃色のロングヘアが揺れた。まるで春風に吹かれたように。
『おーい。もしもーし?』
驚き慄いて倒れた私を覗き込むような視線。心配そうに揺れる瞳は、人のそれと相違なかった。
「……」
パクパクと口が開いたり閉じたりしているのを自覚した。
こんなのありえない。話しかけてくるなんてありえるわけがない。
だってこの子は私の作り物で、実際に生きているわけじゃないのだから。
どうしてこんなことに?昨日、歌を作ろうとシンセサイザーをPCに繋いでVOISYSを起動したら最新バージョンの通知が来てて…。そのままアップデートして…ロードが長くて寝落ちして…えーっと…。
『ねぇ、私を作ったのあなたでしょう?私はなんて名前なの?』
思考を破るように無機質なブルーライトに映る彼女が尋ねてくる。
寝ぼけた脳みそに灯る彼女の声。歌を作ると決めてから、私が必死な思いで作った音声。
「あ…えと……さ、桜蘭。あなたは…桜蘭」
追いつかない思考回路が、目の前の質問を反射的に答えた。
私はまだ、夢でも見ているのだろうか。
『桜蘭…へぇ。それじゃあ、あなたの名前は?』
桃色の髪のバーチャル少女は、ピンと来てない様子で反芻した後、もう一度私へ質問を投げかける。
その刹那…。
「…あっ」
サァっと、開けた窓から遅咲きの桜の花びらが一つ。思わず囁くような声が漏れた。
さらさらとそよ風が流れ、桜色が踊る。部屋に満ちた心地よい春の香りが、これが夢ではないことを教えてくれた。
「蘭織……私、東風上 蘭織…」
気がつけば口から言葉が紡がれていた。まるでそこにあるのが自然かのように。
さらりと、そんな春風に乗って。
『蘭織。うん、悪くない』
インプットするように桜蘭が画面の中で頷く。
『これからよろしくね。もう1人の私…蘭織!』
彼女の言葉でまた一つ、春風が入り込んできた。風に乗る私の茶髪と、全く同じ靡き方をする画面のピンク髪。
高校2年生になった私に訪れた4月は機械的で奇怪な春。それはこれから想像もできないような何かが起こる、そう思わせてくるような春だった。
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