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第14話 「私情も欲情もない。ただの、仕事」
(Rudy and Peter SkitteriansによるPixabayからの画像 )
白石は、井上の匂いを記憶からさぐった。美貌の男がまとっていた、たまらないほどに魅惑的な香り。
「……いつもの香水じゃなかったんだ。……ちょっと柑橘系とジャスミンが入っているような匂いだ」
「そりゃ“李氏の庭”って香水だ。やつのカノジョ、岡本が使っている」
「“李氏の庭”」
山中は白石のカバンを持ったまま、カカカと笑った。
「井上のヤロウ、出勤ギリギリまで岡本と寝ていやがったな。カノジョの匂いを付けたまま、一晩じゅう仕事したかったんだろう」
ぶわっ、とまた白石の顔が赤くなった。
「あんただって、身に覚えがあるだろう? 惚れた相手の香りを皮膚の上に乗せて、シャツの中に仕舞い込んじまうんだ。
それでしばらくは、恋しい気持ちをなだめられる」
「そういうのってうらやましいな」
「――ああ、うらやましいほどの純愛だよ」
ぽつっと山中が言った。
「あの男はな、11年もかけて初恋を成就しやがったんだ。スジの通った、いい男だぜ。愛情がある」
「あんたから、“愛情”って言葉を聞こうとはな」
「おれにも、多少の恋愛生活はあるってこった」
「多少ね」
白石は苦わらいをした。
「さて、そっちはメシと風呂介助。
ノーオプション。清らかな関係。短期間の相互扶助関係だ」
山中が首を振る。
「俺が一方的に、喰わせて風呂の世話までするんだ。相互扶助じゃねえよ」
「いや」
白石は首を振った。
「おれは、あんたの店で服を買おう。それでギブ&テイクだ」
山中は足を止め、じっと白石の全身を上から下までじっと見た。
その視線はそれまでのおどけたものでなく、プロとして対象物を見る冷静かつ正確無比な視線だった。
白石は寒気をおぼえた。
自分が“物品”として見られていることに、初めて気づいたのだ。
ぼそっと山中がつぶやいた。
「――悪くねえな」
「な、なにが」
「きのう、服を脱がせたときも思ったんだ。あんたの腰骨には、色気がある」
「腰骨、に色気?」
山中はじっと白石の腰に目を当てた。
ずくん、と思わず白石が勃起しそうになるほど、熱のある視線だった。
それまでの、遊びの色恋とはまったくちがう、真剣な視線。
山中という男を構成している基盤は仕事であり、本人が見せかけようとしている軽い色恋の駆け引きだけではない。白石は一瞬で、理解した。
山中は冷静な口調で言った。
「あんた、おれのSNSのモデルをつとめてくれねえか」
「SNSって、フェイスページとかインスタとか」
「そうだ。
俺はSNSで、服のコーデ画像をアップしている。うちのブランド、"ドリー・D"のアイテムを古着と組み合わせたりしてな。
フォロワー数は2万。店の売上に貢献してる――ところが、な」
山中は駅で切符を買いながら、つづけた。
「いいモデルがいねえんだ。うちの店の若い奴に着せているんだが、骨が細すぎて、服のボリュームに負ける」
山中はちらっと白石を見た。
「あんたならぴったりだ。うちで、ドリーの服を着たかっこうを撮影させてくれりゃ、メシも風呂もタダにしよう」
わかった、と言おうとして、白石は止まった。
「あんたの部屋で、服を脱ぐのか?」
山中はきれいな目で笑った。
「仕事だよ。私情も欲情もない。ただの、仕事だ」
……ほんとうだろうか。
考える前に、白石は答えていた。
「いいよ。やるよ」
ああ、ほんとうにまずい。
おれはこの男に、惚れはじめている、と思った。
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