第19話 「最後の恋から。 逃げ出す方法」

1/1
前へ
/27ページ
次へ

第19話 「最後の恋から。 逃げ出す方法」

8b5b91e0-5673-4cca-9d53-952074302542(Ludovic CharletによるPixabayからの画像 )  白石は美貌の後輩の困惑を見て、笑った。 「俺の見たいと思っているものが、思いつかないか、井上?」 「お手上げです。おれは想像力が欠けているんですよ。なぞなぞはやめて、すぐに答えを教えてください、先輩」  白石はにやっと笑った。 「お前が、コルヌイエの“てっぺん”に立つところを、見たいんだ」 「てっぺん? ――屋上ですか」  白石は声を上げて笑い始めた。 「悪い、お前に想像力がないのを忘れていたよ」 「そう言ったでしょう!」 「いいか。俺はお前がこのコルヌイエホテルのオーナーになるところが見たいんだ。お前がここを、"井上清春の理想のホテル"にするところがみたい。  その時は、俺を思う存分に使え。未来のお前に使い倒されてもいいように、今、俺は自分を鍛えているんだ」  井上の切れ長の美しい目が、いっぱいまで見開かれた。 「……せんぱい」 「俺は本気だぞ。本気で“井上清春”っていう男に惚れこんでいるんだ。いつかお前の下で働きたい。  お前が、まったく新しいホテルを作り上げるときに、俺は一緒にいたいんだよ」  井上の端正な顔にすうっと血の気がのぼってきた。  いかなる時でも冷静かつ怜悧な仮面をはずしたことのない男が、端正な顔に驚きと誇りをみなぎらせるところを、白石は初めて見た。  男のプライドと充足感がきらめく艶となって、井上の美麗な顔を輝かせている。  やがて、井上が世にも美しい微笑とともに言った。 「まいったな、先輩。これほど熱烈な告白は、後にも先にも受けたことがありませんよ」 「そうか」 「おれ、同性から嫌われるタイプですから。そんな風に言われたのは初めてです」 「本気だぜ」  白石はそう言って、グッと井上の肩に乗せた手に力を込めた。 「俺は、俺の人生で一番きれいな夢をお前に賭けている。だから引き抜きだなんてバカなことは、もう考えるな」 「よかった……え、じゃあ、先輩が夜も眠れないほど悩んでいることって何なんですか」  あらためて、井上はそれが気になったようだ。追求しようと口を開きかけたところを、デスクで鳴り始めた内線電話に邪魔をされた。 「くそ、仕事だ。先輩、今日はもう問い詰めませんが、いつかちゃんと話してもらいますよ」 「わかったから、早く電話を取れ」 「おれは本気ですよ……はい、お疲れ様です、レセプションの井上です。はい、ああ、ではそちらにうかがいましょう」  くそ、ともう一回毒づいてから、井上は曲がってもいないネクタイを直して白石をふりかえった。 「ガーデン棟でトラブルです。オーバーブッキングのゲストをこっちに回そうとして、もめているみたいです。ちょっといってきます」 「おつかれさん、すまないな。俺は帰るよ」 「少し休んでくださいよ。明日の日勤は、おれがやりますから」 「ばか、お前こそ休め」  白石は笑ってバックルームを出た。  コルヌイエホテルの優美なロビーを抜けてスタッフエリアに入ってから、一人で笑う。 「くそ、ついに言わされちまった」  白石にとっては一世一代の告白だ。仕事にかこつけて、ついにはき出した井上への愛情だ。  これ以上、なにも言わない。  白石糺が仕事上で惚れた男は井上清春ただひとりだ。  そして一歩コルヌイエホテルを離れると、キスしかしたことのない男が白石の全身を支配している。  山中。 あの男は何なのだろう。  そして――白石はあの男から逃れられるのだろうか。  最後の恋から逃げ出す方法を、いま白石は必死で探している。  どうあっても、かなわぬ男に溺れかけている自分を、ののしりながら。  ああ一体。  俺の身体はどうなっている? ただもう無性に、あの男が欲しくてたまらない。
/27ページ

最初のコメントを投稿しよう!

44人が本棚に入れています
本棚に追加