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静かな音楽が流れる中で、僕はお酒の補充をしていた。その横でマスターが、客に酒を振る舞いながら談笑している。
「その子、可愛いね。話したいんだけど」
相当酔っているのか、カウンターに座っていた背広の中年男性が言った。
「この子はウブだし、人見知りだから勘弁してやって」
マスターが愛想良く断ってくれる。本来であれば、僕もちゃんと接客するべきなのだろう。だけど、色々と事情を知っているマスターは、僕に無理強いはさせはしなかった。
マスターとの出会いは、今から十年程前になる。
家を出て真っ先に困ったのは、お金の問題だった。とにかく仕事を探そうと繁華街に出たものの、そう簡単に見つかるはずもない。
そこで声をかけてきたのが、サラリーマンでいわゆる援交を持ちかけてきたのだ。経験がないとはいえ、それなりに知識はある。嫌だという気持ちもあったけれど、背に腹はかえられない状態で、僕は男についていこうとした。
その時現れたのが、僕が後に勤めることになるバーのマスターだった。
警察を呼ぶというマスターのセリフに、男は早々に僕の手を離した。それから僕を店に連れて行くと、呆れながらも説教を口にした。
「あのね、君、未成年でしょ? お金が欲しいからって、援交なんてするもんじゃない。一人どころか、回されるかもしれないんだよ」
マスターの言葉に僕は、血の気が引いていた。真っ青になって俯く僕に、マスターは迎えを呼ぶように言った。
「知り合いでも家族でも良いから、迎えに来てもらいなさい。道に迷ったとでも言えば良いから」
僕は慌てて首を横に振った。帰る場所もなければ、行くあてもないのだと。家に帰ったら殺されるかもしれないと、気付いたら僕は取り乱していた。
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