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10 呪縛 (佐々木side)
父親の海外赴任に佐々木がついていかなければならないという事は、少し前からわかっていた事だった。
だから、密かに好きだった八尋に近づいた。
佐々木が八尋の前から消えても、絶対に忘れられない思い出を刻みつける為に。
優しい記憶だけではインパクトは弱い。何れ良い思い出になり、ほんの時折思い出される程度になって、忘れられていく。
佐々木はそんなのは嫌だった。
だから八尋の全てを奪った上で、手のひらを返すように手酷い別れ方をして、姿を消した。遠距離恋愛でなあなあの自然消滅なんてのが一番最悪だ。
手酷い裏切りや憎しみの方が愛なんかより深く心に爪痕をつけると、佐々木は知っていた。
新しい土地でも、佐々木は変わらず上手く世渡りをしたし、言い寄ってくる相手と適当に付き合ったし、それなりに楽しく過ごした。
佐々木と別れた後の八尋が落ち込んで、人間不信になって、暗黒の高校時代を送る事になったのとは対照的に。
只、空虚だった。
遊んでいても付き合ってもセックスしても、目の前のこの相手は八尋じゃない。
別れを告げた時の八尋の、傷ついた表情を思い出すと、身震いする程快感だった。
傷つくという事は、八尋が佐々木に気持ちを向けるようになっていた証だ。
きっと八尋は佐々木を憎むだろう。忘れようとしたって忘れられず、苦しむだろう。ずっと。
それで良かった。
次に会う時迄、八尋の記憶に、より鮮烈に残れさえすれば。
佐々木は確かに八尋を愛していたのだ。
それはとても歪んだものだったけれど。
大学を卒業し、とある企業の支社に就職した。
その支社で数年働いていたら、視察に来ていた本社のお偉方に気に入られたようで、思いがけず日本に帰る事になった。
数年の内には帰国するつもりだったけれど、早目に帰れる事になり佐々木としては渡りに船だった。
ずっと佐々木の頭にある事。
八尋。
八尋がΩなのは、体の関係を持った時に知った。
佐々木はその時既に女とも男ともセックスは経験済みだったが、Ωを抱いたのは初めてだった。
八尋の体は、βの男とは格段に違った。
好きな気持ちが快感を倍増させたのかもしれないけれど、それを差し引いても、全然違う。
八尋の、敏感過ぎる体の反応、肌の質感、汗の匂い、唾液の甘さ、声の艶めかしさ、初めてのくせにうねるように佐々木を包み込んだ、そこ。
溺れそうだ、と自分を制御するのに必死だった。
世の中のα達がΩを独占したがるのが理解出来る。
八尋の中にペニスを深く埋め込みながら、佐々木はこの男を離したくないと強く思った。
けれど、状況がそれを許さないのもわかっていた。
だからこそ、翌日には酷い捨て方をしなければならない。
次に会う時迄 少しでも長く、強烈に 佐々木という存在を 八尋に刻みつけておく為に。
帰国して八尋を探すのは簡単だった。
八尋の連絡先は、案の定というか、電話番号自体を変えてしまっているようだったが あの頃の同級生の連絡先は残してある。
数人にコンタクトを取り、皆の近況を聞き出すふうを装って八尋の事も探った。
何度か行った事のあった八尋の実家はそのままのようだが、八尋は既にそこにはいないのだと言う。
「佐波さあ、あ、今は名字変わったんだっけか。何つったかな…。
まあ、とにかくアイツ、Ωだったんだよ。知ってた?」
「…そうなんだ?」
スマホ越しに聞こえてくる友人の言葉に、そうとぼけた。
そんな事、知っている、身をもって。
しかし、名字が変わったという事は、つまり。
「結婚したんだよ、アイツ。番婚っつーやつ?見合いで。
すげぇαとくっついちまってさあ。めっちゃ色男。
佐波はどっから見ても普通の奴なのに、あんなの捕まえるのかよってびっくりしたわ。」
「…へえ、そうなんだ…。凄いじゃん、玉の輿ってやつだな。」
そう返しながら、内心穏やかではなくなっていた。
純粋な八尋の事だから、あれだけ傷つけたらもう誰も寄せ付けないと思っていたのに。
しかし、と考える。
見合いだったと言っていた。
仕方なかったのかもしれない。Ωという性を持つ者が、1人で生きていくのは本当に大変らしいと前に授業でチラッと聞いた事がある。
αと番になるのは生きていく為の手段、だったのかも、と佐々木は思った。
Ωはαと惹き合うものだというから、番になるのがラクな生き方には違いない。
八尋が相手の男を好きになるなんて、有り得ない。
八尋は佐々木の事が好きで、ずっと佐々木に囚われている筈なんだから。
そして、その呪縛を解けるのは佐々木自身でしか有り得ない筈だ。
その筈だ。
だから、取り戻してあげないと、と佐々木は思ったのだ。
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