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8 暗雲 (琉弥side)
見合いから日を置かず婚約に漕ぎ着けて周囲を驚かせた琉弥と八尋は、本当に仲の良い恋人同士になったと思う。
デートもたくさんしたし、色んな場所に行った。
イベント事の折々には特別な旅行に行ったし、時には琉弥の部屋で一緒に料理を作ったり。
そして半年経った頃、琉弥は思った。
全然飽きない。
八尋となら、何もせずに只、黙って一緒にコーヒーを飲んでいるだけでも楽しい。
琉弥は八尋に番になりたいと申し入れた。
だが、八尋は躊躇った後、答えた。
『もう少し、待ってくれないか。』
琉弥は不思議に思った。
八尋の気持ちが自分に傾いてきているのは日々感じている。自惚れでは無い筈だ。
何故、躊躇うんだろうか。
「…俺、さ…。前にちょっと、やな事あって。
あ、いや、単に俺の気持ちの問題なんだけどさ。
琉弥を信じてない訳でも勿体ぶるつもりもないけど、もう少しだけ待って欲しい。」
申し訳なさそうに小さな声でそう言われたら、琉弥も頷くしかなかった。
『もう少しだけ。ごめんな。』
八尋は番を拒否した訳ではなく、少しだけ時間が必要なだけなのだ。そう、自分に言い聞かせて、琉弥は待つことにした。未だ半年。
自分が急ぎ過ぎたのだ、と。
それから3ヶ月後、八尋は無事に了承をくれて、ほどなく来たヒートの時に無事、番契約は成立した。
琉弥はその時初めて八尋を抱いて、好きなΩとのセックスはこんなにも深い快感を得られるものなのかと驚いた。
琉弥だって適当に遊んで来たからΩとのセックスがβの男女を抱くよりも気持ち良い事は勿論知っている。
けれど、そんなものとは比較にならなかった。
八尋がヒートだったからという事も、大きかったかもしれない。
ヒートが始まり、八尋の体から甘く濃厚な匂いが発されだした時、琉弥は直ぐに夢見心地になった。
八尋の肌は熱くて滑らかだった。処女ではないとは聞いていた通り、愛撫される事自体には、抵抗は無いようだった。琉弥はそれに嫉妬したが、おそらく性的関係を結んだ人数に関しては、八尋に何か言えるような立場ではない事もちゃんと理解している。
過去は過去という事にしてもらわねば、圧倒的に不利なのは琉弥だ。
嫉妬は胸に仕舞い、八尋を悦ばせる事に集中した。
八尋は可愛かった。
普段の性的な事とは無縁そうな大人しげな青年、という様子からは想像も出来ない程に乱れた。
うなじを噛んで番が成立すると、そこから更に八尋の感度は上がった。
八尋の中に誘い込まれ、熱い胎の中で 琉弥は抜かずに何度果てたかわからない。
ずっと八尋と繋がっていたいと思った。
どろどろに溶け合ってしまえたら、ずっと一緒にいられるのに。
八尋のヒートが終わったのは3日目の夜中だった。
離れ難い、脱力した愛しい体。
琉弥は気を失った八尋を、只静かに抱いて眠った。
流石に体力を消耗して疲れ果てたが、誰かを抱いてこんなにも満ち足りた気持ちになったのは初めてで、心は限りなく穏やかだった。
八尋は未だ妊娠を望まないという事で、Ω用に処方された避妊薬を飲んだ。
100%防げる訳でも無いが、万が一孕んでしまっても、番にはなってしまっているから体裁は別に気にしなくて良い。
だがあまり早く子供が出来てしまって、八尋を独り占め出来なくなるのも嫌だ。
そんな理由で琉弥も、避妊薬の服用には反対しなかった。
そして、それから数ヶ月後。婚約して一年経った頃に結婚し、新居のマンションに移り住んだ。
新婚生活は楽しかった。
八尋は結婚後も、派遣で働き続けるのを望んでいたから、共働きになったし家事はある程度分担。結婚前迄は家事をせず、一人暮らしのマンションにハウスキーパーを入れていた琉弥には、それもまた新鮮だった。
八尋は働き続ける事を選んだとはいえ、勤務時間はセーブしたようで、琉弥が帰る時間には何時も食事を作って待っていてくれた。
だから家事分担も自然と八尋の方が多目に担っていたが、それについて物言いがついた事も無い。
結婚生活は概ね順調と言えたし、琉弥は満足していた。
そして、結婚してから一年と少し。
暗雲は突然たちこめた。
佐々木 蓮士は、社長である琉弥の伯父が支店から直々に呼び寄せた社員だった。かなり優秀らしい。
伯父に気に入られた経緯は知らないが、面倒を見てやってくれと言われては、断り難い。
挨拶された時から、妙な感じがあった。
端正で美しい顔はにこやかに微笑んでいるのに、目の奥に灼けつくような熱がある。
何故そんな目で自分を見るのだろう、と琉弥は訝しく思った。
ねっとりとした欲を含むようでいて、何かが違う。
琉弥に秋波を送ってきているのはわかったが、好意からのものとは思えなかった。
そして出会いから1ヶ月後、取り引き先に同行した帰りに、琉弥ははっきりと佐々木から誘われた。
「俺が既婚者なのを知っていて誘うなんて正気か?」
琉弥が呆れたような表情でそう言うと、佐々木は不敵に笑った。
「勿論。だからこそ、ですよ。」
それを聞いて琉弥の中での佐々木に対する評価は地に落ちた。
いくら仕事が出来るとはいえ、社内コンプライアンスに平気で違反するような人間を放置する事は出来ない。
伯父にも進言しなければ、と思ったその時。
「佐波 八尋…今は徳永 八尋、ですね。」
最愛の番の名が旧姓を添えて、佐々木の口から出た。
琉弥は一気に警戒モードになった。
「…何故、八尋を知っている。」
αの怒気は目の前の男にも確かにプレッシャーとして伝わっている筈で、その証拠に佐々木は息苦しい表情を見せて膝を付きそうに体勢を崩している。
なのに、その唇からは思いもかけなかった答えが告げられたのだ。
「それは…俺が八尋の初めての男、だから、ですね。」
頭を横から金槌で殴られたような衝撃。
そしてそんな事を告げた佐々木の口角は上がり、その表情には僅かに愉悦が含まれているのを、琉弥は感じ取った。
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