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薄暗い照明は気持ちが休まっていいけれど、目には負担が掛るかも。昭和レトロな喫茶店だから仕方ないけど。
「ふぅ……」
ノートに走らせていたペンを止め、ガラステーブルのマグカップを口元に運ぶ。もう冷めているけどチョコレートの香りがほんのり甘い。身体に負担を掛けずにカロリーをとるにはこれが一番。
チャリン……という音と「いらっしゃいませ」というマスターの声。こんな中途半端な時間にやって来るお客は一人しかいない。スラっとした長身で何処か寂しげな眼差しの。そう、『常連』のカズキ君だ。
彼が『カズキ』という名前であることを知ったのはホンの2週間ほど前。ペンケースに『KAZUKI』と書かれているのをチラッと見たから。それが名字なのか名前なのかは分からないけど、とにかく『カズキ』君。
席を立ってカウンターへ行き、水とオシボリを持って彼の元へ。
「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりですか?」
そう言いながら素っ気なく水のグラスをテーブルに置いた。何しろ私はバイトのウェイトレスだから。
「ホットコーヒーを」
甘く低い声でそう言いながら、カズキ君が鞄を椅子に降ろす。毎週水曜日と金曜日は午前中に大学の講義が無いらしい。だから12時過ぎになると時間調整と勉強のためにこの喫茶店へ現れる。
『私の記憶』によると、少なくともこの7月からはそうしていたようだ……『私』がいなかった9月頃にどうしていたかは知らないけれど。
コーヒーをカウンターから彼の元に運び、私は再び店の一番奥にある『自分の指定席』へと戻った。
同じ大学に通う身分ではあるが、彼とは違い私は二部(夜間)なのでまだ時間はある。間近に迫った年末の中間試験に向けて、もう少し勉強を続けよう。
お店に他の客はいない。閑散とした空間は、勉強には向いているかもね。
やがてカタンと音がしてカズキ君が席を立った。
「……」
私もそれに合わせて席を立ち、レジへと向かう。そしてレシートを受け取りながら無表情のまま「520円です」とだけ呟く。そして毎回きっちりとお釣りなしで出てくる硬貨を受け取って「ありがとうございました」と言いながら席に戻るのだ。……ずっと同じルーティン。
どうしたかったんだろう『私』は。それが分からない。本当に分からない。だから何も言えずにいる。ただその姿を見つめるだけの日々。
……ねぇ、どうしたかった? 告白したかった? 付き合ってみたかった? 淡く曖昧な感情だけが、今の私に引き継がれている。
だが……分かっている。『この身体』はもう限界が近いことを。いや、普通ならとっくに死んでいて不思議はない。それを無理やり引っ張っているのだ。
何故なら……。
「……おや?」
テーブルの上に小さな消しゴムが。恐らくカズキ君の物だろう。寂しそうにひとつ、ぽつんと残されていた。
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