一.痛い人

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ミュージシャンになる。 若い頃そう言って、生まれ育ったこの町を 父は一度離れたそうだ。 駆け落ち同然で 結婚する前の母を連れて。 そんな父の背中は 当時日活スターの石原何某(なにがし)のように たくましく見えて、 一生父についていこうと、 母はその時思ったらしい。 その決断が吉と出たか凶と出たかは、 誰か母に会ったら聞いてほしい。 大都会東京。 ただ、上京しても現実は残酷だった。 父は夢もかなわず、大撃沈して帰路につくことになる。 その故郷への帰り道。 列車の車窓から見た夕陽の色が涙と重なり、 それは綺麗だったと いつも語る。 あーそうですか程度で、 私はいつも受け流す。 「茜、そしてな。 そんな傷心して帰る駅にはな、 色々な人のドラマが交錯する場所ってもんだ。 出会いの数だけ別れもあるってやつよ。」 と熱く語る父の言葉を、再びしらけて聞く私。 そもそも色々な人のドラマが起きるほどの 数の人間がこの町にはいない。 まぁ、そういった所で、父は きっぱりミュージシャンの道を諦めた。 そして当時、そんな感銘を受けた鉄道関係の仕事に就くと、 一念発起して目指す。 単純と言えば単純だ。 そんな折生まれた私は、物心ついた時から 朝から晩まで、鉄道に精魂をささげる父の姿しか見たことない。 昔から私の町の列車は乗車客も少なく、 老朽化が進んでいた。 そんなくたびれた列車の運転から、 駅構内の清掃、庶務などを一人で受け持っていた父。 母もけなげに、父を影から応援していたが、 ある時、何を思ったか突然Tシャツを作り出す。 そのどぎついショッキングピンクのシャツの中央には 『がんばろう、吹雪線 さくら号!桜舞う季節へ!』のメッセージ。 それを売り出すだけでは事足らず、 地域名産の菜の花を活かした弁当を売りだしたり、 挙句の果てには、 『自然の空気を都会のつかれたあなたにおすそ分け』 というキャッチコピーで、田舎の空気が入った缶詰を売り出す始末。 空気だよ、空気缶だよ。 そんな物売れるわきゃない。 そして、ダメ押しが、三流ミュージシャンの父の鉄道の歌。 そんなおしどり漫才的な夫婦のけなげな努力がとうとう実を結ぶ。 そう、地方のメディアがしぶしぶ?取り上げたのだ。 『夫婦で地域活性化!老朽化する路線を救う!』 とか宣伝したもんだから……。 何を勘違いしたのか、 うちの両親に拍車がかかったのは言う間でもない。 それもあってか、岐路に立たされたローカル線を何とか立て直した父。 その功績が実り、別のローカル線の鉄道会社から父にお呼びがかかったのが今年の春。 そうやって、父は春風と共に旅だったという事だ。 高校生活最後の私を放っておいて。 まぁ、私にとっては、やっと勇太からいじられなくてすむと 少しほっとしていたのだが……。
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