第三章 鍵を作る。大根好きなあいつが来る。 2

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第三章 鍵を作る。大根好きなあいつが来る。 2

 コテージに戻ってきた私達は、コテージに戻るわけではなくそのまま通り過ぎ、今朝作った鍵を開けて白樺の柵の内側へ入る。昨日はもう暗くて気がつかなかったが、コテージの奥に小さな畑が広がっていた。 「こんなところに畑?」  私はクマさんの後に続いて畑に入る。食べ物も自給自足という事なのかな? 「そうなんだよね~水やりがめんどくさくて」  そう言ってクマさんは畑に隣接された小さな物置小屋に入ると、中からデカいバケツと錆びついた如雨露(じょうろ)を取り出し、私に見せる。 「まさかそれで水やりを?」 「うん。大変なの」  どうやらクマさんは、コテージの水道であのデカいバケツに水を汲んで来て、その水を錆びついた如雨露で撒いているらしい。それは大変だと思う。結構な重労働。いくら小さな畑と言ったって、花壇程度の大きさでは決してない。  広さで言うと、ちょうど隣に建っているコテージと同等の広さをしている。それを全部手作業は大変だ。  そもそも疑問だったのが、一体ここでクマさんが何を育てているのかだ。クマさんの食生活が分からないが、畑に埋まっている物を食べるのかな? 「一体何を育ててるの?」  私は畑に入って、植えられている物を観察する。ほとんどが地面に埋まっているのか、全体像は分からない。見えている部分だけで言えば、真っ白なそこそこの太さの棒状の物のてっぺんに、わっさわさの草というか葉っぱというか、そういうものが生えている。 「これって……」  大根? 大根だと思う。小学校の調理実習で触ったし、家でも勿論食べている。白い野菜。こうやって埋まってるんだ……うん? クマって大根食べるの? そうなの? 私が知らないだけで実はクマって大根好物なの? 「これって大根だよね? クマさんが食べるの?」  私は、先ほど切ってきた「水」の木に何やら細工をしているクマさんに尋ねる。 「うんうん。違うよ。これは僕が食べる物じゃない」  それだけ言ってクマさんは立ち上がる。 「それにしてもこの人……妹を水害で亡くしたのか……可哀想に」  立ち上がったクマさんはしみじみと言った。  そうだった。あれらの木は全て、富士の樹海で自殺した人の想いが具現化したもの。今回は「水」の木だった。家族を水害で亡くしたのが自殺の原因。追いつめられた原因……もし、もしも私が死んでいたら、私の原因は一体何だったんだろう? もしかしたらお母さんかな? それともお父さん? それともクマさん?  いやいや、今は私のことなんて考えない。私は死んでない。生きることを決めたのだから。クマさんは当たり前のように木を切って、生活をしている。切れば、その木の元になった人間の想いが流れ込んでくると言っていた。  それは本当に辛いと思う。私だったら耐えられるかな? もしかしたら一回くらいは耐えられるかもしれない。だけどクマさんのように、日常的に木を切り続ける生活は出来ないかもしれない。  でもここで管理人としてやっていくのなら必要なことなのかな? それともクマさんが切り続けてくれるのかな? 私の代わりに? 良くない良くない。人に頼ってばかりじゃいけない。私も何かしなくちゃいけない。そうでないと、クマさんのぬいぐるみを捨てた当時の私から、何一つ成長してないことになってしまう。 「ねえ。今度私が切ってみても良いかな?」 「どうしたの急に?」  クマさんは驚いた顔で私を見る。私も彼を見る。 「ここで私も生きていくんだから、将来的には管理者にもなるのなら、この仕事は絶対避けては通れないから」  クマさんは目を大きく見開いて、私の言葉を聞いていた。そして最後まで聞いた後、クマさんはニヤリと笑った。 「何言ってんの~? これは僕の仕事だよ? 僕が切る。僕しか出来ないことだからね」 「じゃあ私は何をすれば良いの? 一緒に暮らすんだから、何か役割が欲しい」  クマさんは予想通り、私に木こりをさせるつもりは無いらしい。だけどただ面倒を見てもらうわけにはいかない。もともとこのクマさんは私のぬいぐるみだ。持ち主がぬいぐるみに世話をされているなど、あってはならない。  自殺をしようと決意して家を出たら、昔捨てたぬいぐるみに拾われて飼われているだなんて、笑い話にもならない。いや、(はた)から見る分には面白いのかも知れないけれど……。 「そうだな~」  そう言ってクマさんは腕組をして考える。  しまった……こうなるとクマさんは長いのだ。  唐突に暇になった私は畑を見渡す。さっきクマさんは、自分が食べるものでは無いと言っていた。ということは私のための大根? 確かに大根は野菜の中では好きな方だけど、私は昨日ここに来たのだ。もう大根畑が出来上がっているのは流石におかしい。  そうなるとこの森に住む他の住民のためということになる。まだ見たことないが、一体どんなのがいるのかな? 「じゃあさ、僕に君達人間のことを教えてよ」 「どういう意味?」  長い長い長考の末、ようやく出てきた答えがそれだった。人間のことを教えて? どういう意味だろう? 「知っての通り、僕は元ぬいぐるみだ。だから僕には人間の気持ちがいまいち分からないんだよね。木を切るたびに、自殺してしまった人の想いは伝わるけれど、それだけなんだ。可哀想とは思うけどそれだけ。本当の意味で人間を理解しているとは言えない。だから教えて欲しい。僕が文香に与えられるのは、この文字の森だけ。だから僕は精一杯この森のことを伝える。だから文香は僕に人間のことを教えて~」  クマさんは過去一番なんじゃないかと思うくらい喋った。それだけ本気ということでもあるのだろう。人間のことを教えてか……簡単そうに言ってくれるじゃない? でもやっぱりクマさんは人間を知らないのだと思った。  人間のことを本当に理解している人間が、自殺なんて選ばない。本当に理解しているならそんな選択はしない。人間の本質を理解しているのと、人間の本質に触れてしまうのには、天と地ほどの差がある。  だから私にはたいして教えられない。私自身が分かっていないのだから。  それに……もしも私が人間のことを全てクマさんに教えられたとして、クマさんはそれでも木を切り続けられるのかな? 私はそれが心配。知らない方が楽なこともあるんだよ?  私はそう思いながらも、顔を上げる。口を開く。 「私に出来ることなら教えてあげる。だけどあんまり期待しないでよね?」  私は無難な答えに逃げたのだ。
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