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私は包丁に映った自分を見つめる。まるで黄疸のように黄色く濁った瞳が見つめ返していた。洋室を振り返ると、クローゼットの取手に何か染みのようなものが付着している気がした。私はよろよろとその場を離れる。ドアの向こうでは、男がまだ何かしゃべり続けている。
「暗示の内容は、自分自身を足立マイカだと思い込むこと、そして催眠発動条件はあなたの死です。そいつは、あなたの死によって崇拝する足立マイカに生まれ変わろうとしているんです!」
私はクローゼットの前に立つ。取手に付着した染みは、やはり乾いた血痕だった。
「だからこの部屋には誰も入れちゃだめだ。十分に警戒して、何か異変を感じたらすぐに警察に連絡してください。我々も全力で吉田の行方を追っています。足立さん、聞こえてますか? 足立さん……」
もはや男の声は耳に届かなくなっていた。私はたった一つの想念に囚われていた。
もし、万が一、犯人がすでにこの部屋に侵入していたとしたら?
もし、万が一、すでに犯人と私が鉢合わせていたとしたら?
もし、万が一、それが実際に起きたとしたら…、次に起こるのは……何?
火花のように、カナから届いたメッセージが脳内にフラッシュバックする。
(マイカ、それって吉夢だよ。縁起のいい夢。自分自身が死ぬ夢は、願いが叶って、新しい人生へと再出発することを暗示してるの。マイカは新しい自分に生まれ変わるんだよ)
そうなのだろうか? じゃあ、私は一体何に生まれ変わったんだろう?
おぞましいものでも見るように眉間に皺をよせたカナの表情が脳裏に蘇る。
私は催眠セラピーに通い詰めた本当の理由にさえ確信が持てなくなっていた。
現実と記憶と夢と妄想が絵の具のように混じって溶け合い、世界が歪な極彩色に塗り込められていく。
私は震える手でゆっくりと取手に触れる。
乾いてひび割れた自分の爪を見て、まるで老人の指みたい……と思いながら、私はクローゼットの扉を引き開けた。
END
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