吉夢

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「誰か刺されたぞ! 救急車を呼べぇ!!」  住民たちがすっかり寝静まった住宅街に、何者かの叫び声がこだまする。  私は導かれるように声のする方へと引き寄せられる。  薄暗い街灯の下で、悲痛な声を上げるサラリーマン風の男が見えた。そして男の足元に横たわる人影。  私は駆け寄って状況を確認する。そして目に飛び込んできた光景に絶句した。  そこには、胸に刃物を突き立てられ、血だまりの中で目を見開いている若い女がいた。  その女は私だった。    私は自分の悲鳴で飛び起きた。周囲を見回すと、そこは見慣れた1DKの自室だった。髪もパジャマも汗でぐっしょりと濡れている。    なんて嫌な夢を見たんだろう。  右手の甲がずきりと痛んだ。  どうやら、あの事件は相当なトラウマになって私の精神を蝕んでいるらしい。  それは丁度、一昨日の出来事だった。その日のライブはいつになく盛況だった。終演後に行われた物販でも、私たちのCDやオリジナルグッズは飛ぶように売れていった。  ライブがいくら好評でも、売り出し中の地下アイドルにタクシーを使う贅沢など許されていない。電車を乗り継いで自宅の最寄り駅に着いた頃には、すでに夜の11時をまわっていた。  その後のことは、思い出すだけで怖気がする。深夜の住宅街を一人で歩いている途中、私は突然、刃物を持った暴漢に襲われたのだ。私の悲鳴に怯んだのか、目だし帽を被った暴漢はそのまま走り去っていった。幸いにと言うべきか、右手の甲を薄く切りつけられただけで、私に大した怪我は無かった。  今も犯人は捕まっていない。恐らく、常軌を逸したファンの一人だったのだろう。  テーブルのスマートフォンが震えて着信を告げる。確認すると、社長兼、プロデューサー兼、マネージャーの杉本さんからのメッセージだった。 『マイカ、調子はどう? 残りのライブはあとのメンバーに任せて、ゆっくり休んでくれ。復活後の足立(あだち)マイカには期待してるからな』  私は再びベッドに勢いよく寝転がると、大きなため息をついた。  せっかく、催眠セラピーの効果で、パフォーマンスが上がり始めたところだったのに…。  すっかり目が覚めてしまった。私は朝食を済ませたら、例の研究所へ行こうと決めた。
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