10. 小泉という男

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10. 小泉という男

 今日の仕事は、関東に何店舗かある百貨店の 衣類コーナーの広告に使用する写真の撮影だ。 時々入る仕事で、着る衣装は好みの物でない事 が多いが、写真好きのおじさんたちのために モデルばかりしている私たちの中では、 かなり興味のある仕事だった。  今回は、小泉さんと須藤さんの推薦で、 私がこの仕事を務める事になった。 なので、メイクをした後、別の指定された スタジオまで移動する事になっている。 「さあ、出来た」 私は鏡の中の自分を見つめた。 眉毛が整えられ、キラキラと光るアイシャドー、そして目のきわには、シルバーのラインが引かれている。 私は自然に笑顔になった。 そして魔法の手を持つ須藤さんに改めて感心した。  私は須藤さんの運転する車に初めて乗った。 事務所を離れて二人だけでいるというのも 初めてかもしれない。 私は須藤さんに聞きいてみたい事があった。 しかし、それが何なのか自分でもはっきりと せず、口にする事が出来なかった。 「瑞希ちゃんは、ここに入ってから2ヶ月 くらい?」 「はい。5月に面接を受けたので」 「もう慣れた?」 「撮影の雰囲気には慣れましたけど、 出来上がった写真やポラロイドを見ると、 まだまだです」 「そっか。でも他の子よりはいい表情をして いると思うよ。小泉さんもお気に入りみたい だし」 「小泉さんが、ですか?」 「えぇ。自分勝手な人だけど、大目に見て あげてね。でも調子に乗っているようだったら、ガツンと言った方がいいよ。 別にそれを根に持つ人じゃないから」 車は新横浜にあるスタジオに向かい、 木漏れ日が光る木立の間を走っている。 私は窓の外の次々と流れていく看板や店を 眺めながら、なぜあの日、一度は辞めようと 思ったバイトを続ける気になったのか、 思い出そうとした。 カメラから響くシャッターの歯切れのいい音。 この音が私は好きだ。 私の父は国外、国内、遠出、近場に関わらず、 常にカメラを持ち歩いていた。 その為、私と姉は絶好の被写体とされていた。 そのせいなのか、または、いわゆる遺伝か、 とにかく私たち姉妹は写真を撮る事、 撮られる事が大好きだった。 その延長で、モデルの仕事をやってみたかった...... まずこの当り障りのないフレーズが浮かんだ。 でも、それだけ? 本当にそれだけなのだろうか。 すると小泉さんの顔が浮かんだ。 この男なのか?  私は決して小泉さんの事が好きではない。 この好きというのは、恋愛感情が無いという 事だ。 それに人としても、 あまり好きなタイプではない。 人の気持ちを理解しようとせず、 自分の欲望を優先するからだ。 どちらかと言えば嫌いなタイプかもしれない。 でも、何故か興味がある。 私には無いものを持っている小泉さんが、 何故か気になるのだ。 そして軽そうに見えるが、自分の下で働く アルバイトの子には手を出さないような気がした。 だから私は言われた通り、 木曜日の17時にスタジオへ行ったのだ。  結局あの日、小泉さんはゴルフへ行って いて会社には居なかった。 17時から20時まで私は、最初に求人雑誌で 見た通りの仕事をした。  そうは言っても、この2ヶ月の間に、私は 小泉さんと二人きりで4、5回食事をしている。 そしてちゃんとその食事中の時間も含めて アルバイト代を日払いで貰っている。 あの革表紙の手帳にサインをして...... そうだ、これが聞きたかったのだ。 小泉さんと二人で食事をしたり、その分まで お金を貰ったりしている事が良い事なのか、 それとも悪い事なのか。 そして須藤さんも同じようにされているのか。 さっき「自分勝手な人」と言っていたのは、 こういう事を意味していたのか。 次々と頭に質問が浮かんだ。 しかしそれを口にして良いのか、私はためらい、飲みかけのペットボトルを口にした。 車が信号で止まると、ちょうど斜め前のラーメン屋に若者たちが行列を作って並んでいた。 私が須藤さんの方を見ると、須藤さんもその 行列を見ていた。 「須藤さんは、小泉さんの事、好きですか?」 一瞬驚いたような顔をした須藤さんは、 次の瞬間笑い出した。 「何それ。それは上司として?  それとも男として?」 私も自分が言った事に対して驚いた。 「突然ごめんなさい。 ちょっと聞いてみたかっただけです」 信号が青になり、須藤さんは車を発車させた。 「そうね、上司としては尊敬しているわ。 だって、あのスタジオと鍼の医院を経営しながらも、ゴルフへ行ったり、器用に夜遊びもして、自分の時間まで作ってるんだもん。 まあ、家庭を持たずに独り身の一匹狼だからね。身軽さゆえの気楽さって言うのかな。 でも、なかなか真似できる事じゃないと思う。 だけど『男として』という質問になったら話は別ね。私はああいう男ははっきり言って嫌い。 彼氏にもダンナにもしたくないタイプね」 「須藤さんもですか! 良かった」 「瑞希ちゃんも『男として』は駄目なタイプ?」 「はい...... でも、何故か気になると言うか。 不思議な人だなって」 「分かる気がする。私もそんな風に考えてた」 「あの、須藤さんは、小泉さんから二人きりで食事とかに誘われますか?」 私が思い切って聞くと、須藤さんは私が考えて いる事が分かったという顔をして、 前を向いたまま、2度うなずいた。 そして私も須藤さんが私と同じような経験が あるということを確信した。 「大丈夫よ。小泉さんは女好きだけど、アルバイトの子や職員には手を出さない主義だから。だから小泉さんの食事や、買い物に付き合ったりするのも仕事の内と考えた方が楽よ。まぁ、一緒に居るのも苦痛なら話は別だけどね」 私は須藤さんの言葉のおかげで、 力の入っていた肩が楽になったような気がした。 「でも、小泉さんと二人でどこかへ行ったとか、そういう事は、他のアルバイトの女の子たちにはあまり言わないでね。変に誤解をして大袈裟な噂を流すだろうから」 「はい。言いません」 「あと、もし何か困った事があったら私に相談してね。先輩として、小泉さんにきちんと話してあげるから」 私は須藤さんという強い見方が現れ、 このバイトが思っていた以上に楽しくなるような気がしてきた。
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