其ノ二『追跡劇』

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 これ以上の手がかりは望めない、と判断した浜本は、一旦警察署へ戻る指示を仰いだ。  先頭の葉月班は、「立ち入り禁止(キープアウト)」の電子帯を張った扉の安全装置を再設定してから退室しようとする。  一方、寝室にいる蛍と黒沢だけはじっと佇んでいる。一向に退室しない二人に光は怪訝(けげん)な眼差しを浮かべた。  「おい、二人共、どうし……」  「静かにしろ、光」  しかし、光の声は彼の唇に当てられた蛍の白い指、と黒沢の真剣な囁き声に遮られた。  「この辺りから何か聞こましたね」  普段にはない真剣な二人の言動は、まさに近くで身を潜めている存在を示唆している。  玄関にいる浜本から催促の声が聞こえているのも構わず、蛍は耳を研ぎ澄ます。  「……! 間違いねぇ。音の重さから身長は約百七十センチ、体重約五十キロ台の細身の男だな」  黒沢も卓越した野性の直感を今まさに発揮した。  動物顔負けの聴力と気配察知で即座に分析した足音の主の特徴。  黒沢の台詞から確信を得た蛍は、迷いのない俊敏さで寝室の窓へ駆け寄った。  (ほこり)汚れが積もった硝子窓、向こう側に並ぶ白い縦線の柵。  淡い水色の空に人工遺伝子植物で彩られた外の景色を映す窓を勢いよく開けた。  「いない……となれば、この真下……!」  「櫻井刑事官……!」  「おい待て反則だぞー!」  大胆にも蛍は、柵を飛び越えてからベランダの真下へ降りた。  黒沢と光も慌てて蛍へ続いて飛び降りた。  一方、蛍達の突飛な行動に後輩達は当惑し、浜本は舌打ちを零した。  しかし、「この真下の部屋の扉とマンションの出入口を封鎖してください!」、という蛍の的確な指示に従って、浜本は煩わしそうに駆け出した。  石井宅の真下は幸い空き部屋で、入るのに何の支障もなく、光は安堵を零した。  窓から室内へ入ると、最低限の家具と積もった埃しかない陰鬱な空間が広がる。  一方、居間へ一先ず着いていた蛍は既に拳銃を両手に構えていた。  途端、既に腰の拳銃へ手をかけていた黒沢は当然、呆然としていた光も拳銃を取り出した。  凍り付くような緊縛感は光と黒沢の胸で一気に膨張する。  「、ですね?」  銃口の捉える先を真っ直ぐ見据えたままの蛍は冷徹に問いかける。蛍の目線を追った黒沢と光の双眸は軽く見開かれる。あれは――。  殺風景な部屋の隅で息を潜めていた細身の男性。  蛍の問いかけに答えず、代わりに鋭い眼差しで威嚇する男は、間違いなく石井被疑者だ。  ただし、明らかに警戒心を剥き出しにする石井の表情に光は釈然としなかった。  「ビンゴ! 自室の真下に隠れていたとはな。大方、俺達が来たから慌ててベランダから逃げたんだろ? ここに隠れてやり過ごそうと思ったんだろうが、俺の直感と耳は欺けなかったな!」  「静かにしてください、黒沢刑事官」  「二郎・石井。お前には、児童救済相談所の佐々木所長の事件に関与する容疑がある。警察から逃げようとした理由も含めて、署で話を伺いたい」  部屋の隅で萎縮する石井を飄々と茶化す黒沢を、蛍は冷静に諌める。  気を取り直した光は、なるべく丁寧な声色で任意同行を申し出る。  しかし、警察官にしては冷静な蛍に穏やかな光の態度は、かえって石井の警戒と猜疑心を高めたのか。  石井は口を閉ざしたまま、凶暴な野良猫さながら蛍達を睨み続ける。 .
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