其ノ三『窮民の巣窟』

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 「ルーナシティの中心区域で、政府によるICT安全監視警備システム導入を果たせなかった唯一の地区。他の区域で居場所を無くした浮浪の民が密かに住み着ついた無法地帯――それがエクリプス区」  地図上では、ルーナ警察署があるクレセントムーン区の東北上に位置する豆粒サイズの小規模区域。  ICT安全監視警備システムを都市全体へ導入する試みは、安心・安全を保障される豊かな大都市を実現させた。  ただし、高度な技術発展は恩寵を与えた一方、代償として"失業貧困者の急増"も招いた。  本来は警察署等の公共機関や富裕層に限られていたICTとAI主流の監視警備システム。  しかし計画が進むにつれて、貧富問わず市民の行き来する娯楽施設から市場、住宅マンション・アパートにまで一般化された。  さらに高度なICTとAIを扱う高度な電脳・機械工学の専門技術者が不足する日昇国人に代わり、海外の専門技術者を雇い、海外企業からの資金援助も受けてきた。  つまり――。  「今まで働いてきた市場のレジ打ちも公共交通機関の運転手も、機械とAIに取って代われた人間は"用済み“、というわけか?」  「鋭い指摘です。突如、働く場を失った人達の六割程度は再就職先の目処が立たず、生活費も高額化した住宅費を払う収入がゼロになりました」  結果、一時期の日昇国には大量の失業者と家無しが生まれた。  システム導入による弊害貧困問題(弊害と代償)を見越した政府は再就職支援も打ち出していた。  しかし、実際は各区域の自治体によって支援の手厚さと効果、積極性に大きな格差が存在し、失業後の支援制度をまったく周知されなかった区民も多かった。  そして今から八年前、ICT化以前から治安も貧困も深刻化していたエクリプス区に残遺する貧民と浮浪者の立退と廃墟の撤去――事実上の"解体"を政府は決行しようとした。  すると、当然ながらエクリプス区内で既に共同体(コミュニティ)を結成していた貧民による「反対運動(暴動)」も起きた。  国民への保障政策も説明責任も果たすことなく。  最後まで国の都合で仕事と家、さらに最後の砦まで奪おうとする政府の身勝手な強硬姿勢に、貧民の不信感と憎悪は爆発した。  事実、エクリプス区民への説得材料として救済制度も掲げた政府の魂胆を区の貧民と彼等を支持する有識者達は見透かしていた。  結局、政府は両者共に多数の負傷者を生んだ反対運動事件を機に、撤退と計画中止を余儀なくされた。  以降はエクリプス区へ手出しする者達は現れず、政府と他区域の市民にとって、実質上は“存在しない区域"となった。  「つまり、国の発展によって淘汰された寄る辺なき奴らの巣窟が、『エクリプス区(窮民の巣窟)』というわけか」  貧しきエクリプス区と民が生まれた経緯とそこに眠る闇を知った途端、珍しく黒沢から笑みが消えていた。  逃亡先として相応しい場所を選んだ石井の真意へ想像を巡らせているのだろうか。  かつては、豊かな社会で生きる希望を胸に勤しむ者、穏やかな生活が続くと信じていた者達が“発展の方舟“から零れ落ちた先。  それは精神の髄まで蝕む汚濁と悪臭、そして"絶望“に濃縮された闇は、至る場所へ全てを嘲笑うように広がっている気がした。  「こちら櫻井刑事官。目的のビルへ着きました。今から"潜入開始"です」  蛍達は目的地の第二地点へ着いた。蛍は煤色(すすいろ)襟巻(スカーフ)、黒沢はいかつい黒編帽に隠した無線インカム(相互通信構内電話)越しに、別地点で待機する仲間達へ報告する。  二人の視界に見えたのは、一軒の駐車場ビル。  石灰柱から錆びた鉄筋が露わになって形骸化した建物は四階建ての高さだ。  しかしチーム内で永谷と浜本に次いで唯一、警察の資料を読み尽くしている蛍は今も"記憶“している。  資料に誤謬がなければ、間違いなく"存在する"はず――。  *
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