其ノ四『深淵の果てに』

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 真夏の太陽さながら、嘘偽りもない清々しいくらい真っ直ぐで熱い言葉(想い)。  正直、今思い出してもこそばゆい台詞だが、心から嬉しかった。  光自身も勉強や訓練で手一杯だったはずにも関わらず、奴は俺の試験勉強を―― "夢"を最後まで支え合った。  もしも光と"親友"になっていなければ、刑事官の俺は存在しなかった。  光と出逢わなければ、きっと俺の人生はクソ虚しくて退屈なモノに終わっていた。  だからこそ、誰よりも愚直でお人好しな"最高の親友"には、絶対に幸せになってほしい。  光に相応しい"最高の女"と共に。今まで恋愛面では不器用で受け身がちな仕事人間だった光が、と巡り逢った。  『あなたでしたか、黒沢刑事官。いつも光が優しい表情で語ってくれた、彼の"最高の親友"は――』  普段は寡黙で愛想のない後輩で、後に上司となった同僚。  冷凛と美しくも、どこか少女みたいに純粋で女――蛍と光の恋仲を心から祝福した。  だから親友の恋人である蛍は、俺にとってはだ。  いざという時は、守りたい。  光の幸福のために決して欠けてはならない存在だからだ。  光も既に薄々気付いているだろうが、"本当の蛍は"――根っこは孤独と喪失に怯える"小さな少女"に近い。  大切な誰かに置いてかれることを恐れているような。  それ故か、他者へ依存することも、弱さも本心も明け渡すことへ臆病になっている。  それは――。  「! やべ、考え事をしている内に、出口? 発見……って、何だあれ」  甘くほろ苦い紫煙と懐かしい思い出に浸っていた最中。  いつのまにか、隠し通路の奥で燃える光源の影を発見した。  闇に揺らめく炎の灯りがあるということは、この先に人間がいる。  正体は探し求めている獲物(石井)、もしくは他の誰か(共犯者)なのか未知だが。  黒沢は腰帯(ベルト)から取り出した拳銃を握る手へ力をこめた。  野虎のごとき忍び足で着実に前へ進んでいく。  しかし、通路の左角に曲がる寸前、暗い地面で青白く光る"物体"に気付いた。  何だあれは。まさか、石井の落とし物か?  青白く輝く物体――機械端末の正体を確かめるべく、黒沢は体を前屈させて目を凝らした。  途端、黒沢は心臓へ氷柱が突き刺さるような驚愕に双眸を見開いた。  黒沢は土で汚れた無機質物を震える指で操作し、三次元画面を宙闇へ投映させるた。  電源の著しい消耗を訴える音声案内と共に、半透明の画面に表示された、使用者(ユーザー)のID番号と氏名に――黒沢の背中へ嫌な汗が流れた。  「……冗談だろ。よりによっての……蛍の警察端末じゃねえか!」   黒沢と親友にとって、最もかけがえのない存在の所持物が、何故こんな場所に落ちているのか。  蛍ほどの刑事官が、重要な仕事道具を落とすという初歩的な失態(ヘマ)を冒すとは到底思えない。  まさか、蛍も既にこの場所を突き止めて、ここで――。  持ち主を失って虚しく点滅する警察端末を手に、呆然と立ち尽くす黒沢の心へ"最悪の顛末(シナリオ)が浮かんだ。  全身の血が暴れ狂うような焦燥から始まり、憤りへ変容していく感覚に背中を押される。  黒沢は銃口を前へ構えた姿勢で地面を勢いよく蹴った。  「蛍、どこにいる!? 俺が来るまで絶対に待っていろよ――!」  あの蛍が一刻を争う窮地へ陥っている可能性。  居ても立っても居られるはずもない黒沢は、深淵の闇を抜けた光の先へ最初の一歩を踏み入れた――。  「――」  突如、鼓膜を震わせた声源は闇を抜けた場所の直ぐ目の前か、それとも背後斜めからだったか。  唯一鮮明なのは、右側頭部へ走った凄まじい鈍痛と生温かく濡れた感触。  隙を突かれた、と気付いた頃には既に遅かった。  黒沢の体は糸の切れた人形のように崩れ落ちた。  かび臭く濡れた地面へ伏せた黒沢の意識は、遠ざかる朧月さながらじわりと薄れる。  行方と安否の不明な蛍、今頃彼女を心配している光、そして仲間達を案じる中、腹立たしい焦燥と鈍痛に苛まれる。  「暫く、お前には退してもらう――『計画』の邪魔にならないように――』  親友の照れの混じった不愛想な面。  隣で少女のように微笑む蛍。  大切な二人の姿が黒沢の脳裏に優しく浮かぶ。  けれど突如、再び耳朶を舐め上げるようか声に邪魔され、親友達への意識は掻き消されそうになる。  おぞましいほどに美しく、けれど胸糞の悪くなるほど甘ったるく気配(ニオイ)だ。  石井とは決定的に異なる佇まい。氷菓子さながら甘くも、底冷えする声を鍵盤(ピアノ)のように流麗に奏でた声。  自分を後ろから殴りつけてきたこの男の危険性は、声と気配だけで本能的に感じ取れた。  蛍――逃げろ――"この男"は危険だ――。  この男こそ、まるで――。  冷たい麻薬のように甘美な危険を孕んだ――関わる人間の全てを糸も容易く"狂わせる"存在だ。  *
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