其ノ四『深淵の果てに』

9/9
前へ
/367ページ
次へ
 「石井を追っていた隠し通路で気を失っていたお前を我々が発見した時――既に」  蛍は双眸を凍りつかせて暫し言葉を失った。  やりきれない悔しさと不甲斐なさに、浜本が舌打ちを必死に堪えているのがひしひしと伝わってきた。  浜本ですら意識せねば冷静ではいられない衝撃的な事実に、先程の光の反応と理由を悟った。  蛍も呼吸と瞬きを忘れたまま、浜本の顔と端末から照射された報告書画面を凝視した。  「石井が遺体なって発見された件は『猟奇殺人事件』として、第一と第二と共に引き続き捜査すると決まった」  蛍ですら予測し得なかった結末を現実として理解するのに暫し時間を有した。  あの石井が――一体"誰"の手によって?  エクリプス区の秘密の地下街に、身を潜ませていた石井。  彼の不自然な言動や狼狽ぶりから窺えたのは、斬殺された佐々木被害者への確固たる憎悪。  協働捜査班の全員は、石井をほぼ『黒月』だ、と断定しきっていた。  ところが、追跡から逃げ延びたと思われた石井は呆気なく発見された。  無残な"惨殺死体"となって――。  結局、石井本人から情報を聴き出す前に、事件の真相は彼の死と共に葬られた。  石井には"共犯者"の存在と可能性も示唆されているが、確固たる痕跡も手がかりもないのが現状だ。  一度は身柄を確保した被疑者をみすみす逃がした末に、被疑者自身が殺害された。  蛍達の失態はルーナ警察署とICT安全監視装置への信頼と面子を失墜させかねない痛手となるだろう。  「……それでは、"二つ目"の報告は、何でしょうか」  しかし、「石井被疑者死亡」の知らせは"序章"に過ぎなかった。  蛍と光にとっては、さらに残酷な現実が彼らを"絶望の淵"へ突き落とす羽目となった。  「あの時、逃走した石井を探すために我々が地下街で別れて以降――""になった――」  心臓を氷柱で貫かれたような衝撃に、薄氷の瞳に動揺の亀裂が走った。  報告した浜本自身が居た堪れなさそうに視線を逸らした仕草は、明確な事実を示唆していた。  "あの夜"と同じ感覚が蘇る――。  現実も時間も全てが虚ろに凍結していく感覚――に味わった底冷えする絶望感が――。  『蛍――俺の親友を――光のこと、マジでよろしくな!』  蛍を現実世界の温もりへ帰してくれる記憶は、"三人"で過ごした時間。  黒沢に茶化されて不貞腐れつつも、若干の照れと親しみに微笑む光。  生真面目な弟を揶揄(からか)って愉しむ、面倒見の良い兄貴のように笑う黒沢。  互いを認め合う兄弟のように言葉を交わす仲睦まじい二人の姿。  そして、光との交際を決めた自分に向かって、黒沢が晴れやかな笑顔と共に贈ってくれた"祝福"の言葉。  黒沢との思い出は走馬灯のように蘇ってくる。  「っ――ちくしょうが……」  一方、医務室の外で蛍を待ち詫びる光の脳裏にも熱く蘇っていた。  壁に背を預けている光は血が滲むような悔しさを独り零しながら。  無力で不甲斐ない己への苛立ちを燃やして。  現在も何処か影から他者(自分達)を翻弄してほくそ笑む"黒幕"。  石井を無残に殺害し、親友の黒沢を攫ったと思しき"真犯人"は、必ずこの手で捕まえてみせる――。  今度こそ、"守って"みせる――親友も、蛍も。  己の無力と悔しさへ気の済むまで打ちひしがれた後の光は、確固たる決意を拳へ込めた。 ***次回へ続く***
/367ページ

最初のコメントを投稿しよう!

35人が本棚に入れています
本棚に追加