其ノ五『報告会議と命令』

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 真っ先に画面へ映ったのは、まさに児童保護施設・「慈愛ホーム」の室内――監視カメラの映像記録だった。  最初は小学生くらいの子ども達が無邪気に駆け回り、前かけ(エプロン)を着た保育職等の職員が穏やかに見守っている光景が流れた。  しかし再生が進むにつれて、息を呑んで視聴していた刑事官達の顔にみるみる動揺が広がっていく。  一つ目のフィルムでは数秒後には場面が切り替わり、一人の女性保育職がいたいけな男児の手を無理やり引っ張っているのが見えた。  一見、悪さをした子どもを折檻しようとする様子だと思った。  女性職員は口角を高くつり上げ、鬼のような剣幕で男児を叱っている。  それだけなら、よく見られる光景。  しかし映像に浮かぶ施設の名前、そこで繰り広げられる光景が暗に意味するもの鋭く察した光と蛍の表情は暗くなった。  しかも次の瞬間、視界へ映り込んだ"信じられない光景"に刑事官一同に衝撃が走った。  『うるさい! このが――!』  望月を含む後輩刑事官達は口元を押さえて絶句した。  蛍の冷徹に細めた瞳にも静かな炎が灯った。  映像の女性職員は、怯えている男児の顔面へ強烈な平手打ちを喰らわせた。  それも、一発の仕置きでは気が済まなかったのか。  挙げ句の果てに、女性職員は泣き喚く男児の腹へ力一杯馬乗りになると、両頬を執拗に叩き続けた。  別のフィルムでは、年配の子ども集団が幼くか弱い子どもへ殴り蹴りと嘲笑の雨を浴びせていた。  傍観に徹している職員達は、実験動物実験の観察さながら冷淡に佇む者や、見世物を愉しむように(はや)し立てる者ばかりで、誰一人止めようとしない。  残り複数のフィルムにも、同様の凄惨な現場が鮮明に記録されていた。  連続猟奇殺人鬼が遺体に残した謎のフィルムを通じて"何を"訴えているのは明白だった。  「っ……何ってことだ。まさか、佐々木所長と石井が勤めていた慈愛ホームで……」  苦渋の表情を浮かべる光と共に隣蛍は一つの答えを明示した。  「不適切養育(マルトリートメント)――より一般的な名称は児童虐待(チャイルドアビューズ)。映像にあった慈愛ホームの保育職員達は、子ども達を……自分達の"はけ口"として悪用していた」  蛍の薄氷さながらの瞳には淀んだ炎が揺らめいている。  仄暗い色で遠くを見つめるような眼差しに光は冷唾を呑み、どことなく不安へ駆られた。  正式名称まで丁寧に説明した蛍の言葉通り。  慈愛ホームの保育職員達は、被保護児童への虐待行為を密かに繰り広げていた。  児童保護施設は虐待や貧困、障害その他養育困難な状況にある家庭から子ども達を保護し、安心・安全と共に健やかな発育を保障する場所。  しかし、本来は子どもを守る立場にあるはずの施設職員が、傷ついた子ども達の心をさらに抉る行為を平然と冒していたとは――筆舌に尽くしがたい事実だ。  フィルムのデータは施設という閉鎖空間で隠匿されてきた"児童虐待"の有力な証拠として扱われ、警察もより精密な捜査介入がしやすくなった。  何とも不本意で皮肉な形か。  現在の慈愛ホームは、国の臨時監査が入ったことで運営を一時停止させられ、職員全員は事情聴取を受けている。  慈愛ホームの子ども達は他所の児童保護施設へ移されたらしい。  しかし、慈愛ホームで散々刻まれた心の傷を癒すのは決して容易いことではないだろう。  「第一事件よりも一か月の『十月七日』。慈愛ホームに在籍していた一人の女児の死亡を確認できました。女児の名前は『(あかり)』――石井被害者のです」  望月刑事官が痛ましげな表情で報告した驚愕の事実に、他の班員に戦慄が走った。  「市役所での記録と身辺捜査でさらに判明したのは、石井兄妹は共に"被保護児童として"施設で育った経緯があります」  石井兄妹は幼少期に実母を失くした後、実父と後妻によるネグレクト(育児放棄)の悪影響と危険性を根拠に、「児童救済相談所」に保護された。  しかし、妹の灯だけは「障害児専門」の児童保護施設に移ったことで双方は引き離された。  健常児の児童保護施設で育った兄の二郎は、保育職員の資格取得・就職と同時に施設を卒業。  数年以上の実務経験を積んだ二十四歳頃に慈愛ホームへ転勤した。  同時期、"問題児"として施設をたらい回されてきた妹の灯も慈愛ホームへ転院してきた。  幼い頃に離別した兄妹は、奇遇にも同じ児童保護施設で"再会"を果たした。  しかし、喜ばしい再会の直後に予期せぬ"悲劇"も起きた。  石井がエクリプス区へ足を運び始める前の「十月七日」。  当日に慈愛ホームにいた十五歳の灯・石井は、""。  灯は幼少期から発達・知的障害を有していた。  一見周囲から見ると、何の前触れもなく錯乱(パニック)による癇癪(かんしゃく)で暴れ走るか、壁へ頭を打ちつける自傷行為も頻発していた。  事件当日の灯は、無人の遊戯室(プレイルーム)で一人遊びに興じていた。  しかし、途中で職員が目を離した隙に突如癇癪を起こしたらしい。  『あぃぁぁぎゃあぁぁ――!!』  金切り声で悲鳴をあげて暴れた灯は、彼女をなだめようとした職員を不意打ちで殴り飛ばした。  自転車のような素早さで正面玄関から施設の外へ脱走し、数歩先に広がる道へ飛び出した瞬間――。  偶然鉢合わせた「行政用の大型トラック」は灯を轢いてしまった。  不運にも、行政トラックに搭載された「自動運転安全感知器(センサー)」は故障しており、灯の存在を認識できなかった。 。
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