其ノ五『報告会議と命令』

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 庇護すべき幼き命は、煤色の重いタイヤに轢き潰された。  不憫な事故死の内容に、班員一同は悲壮感と共に暫し静まり返る。一方、双眸を沈ませた俯望月を余所に、蛍は凍てついた声で沈黙を破った。  「これは私見ですが。仮に佐々木所長がこの児童虐待を認識し、及び灯・石井事故死にも関与していたとなれば……フィルムに収められていた動画は、慈愛ホームの職員と所長にとって"不都合な証拠"です。佐々木所長を殺害後に眼窩へフィルムを埋め込んだ人物は石井本人か……それとも、によるものか。そこから連続猟奇殺人事件の"黒幕"へ繋がっていきます」  生き別れた実妹を喪った時、兄の石井の心中は如何なるものだったか。  本来は起こるはずのない交通事故死を予測して未然に防ぐのは難しい。  しかし、灯女児の飛び出しは防げた事故だった。  実妹の保護責任を負う保育職員と佐々木所長へ、石井被害者が恨みを燃やしても不思議ではない。  第二事件前に起きた口論の件や、石井本人の言動からも、怨恨の線で疑えば、彼が佐々木所長を殺害したとしても辻褄は合う。  ただし、石井までもが殺害された今となっては"本当の真実"は闇に葬られてしまった。  「その通りかもしれん。ただ、妹の事故死を防げなかった慈愛ホームへの恨みから、責任者の佐々木を、しかも猟奇的な方法で殺害した動機と見なすのは未だ"早計"かもしれん」  「つまり、石井はの可能性も否めませんね。彼を巻き込んだのが、ただの猟奇快楽殺人犯か否か定かでありませんが」  浜本はあまりに単純明快な仮定と結論を出した蛍達へ、慎重な判断を促すように応える。  しかし、蛍がすかさず切り出した"厄介な仮説"を耳にした他の班員も浜本も思わず固唾を呑んだ。  「遺体の眼窩に詰め込まれたフィルム。猟奇的で派手なその部分へ、つい我々は目が行きがちになりましたが、が確認できた……そうですよね? 藤堂刑事官」  突如、話を振られた光は一瞬困惑の表情を浮かべた。  しかし蛍の意図を咄嗟に察した光は、自身の担う捜査報告を説明し始めた。  「……佐々木の"両手の指全て"は、鋭い凶器で……指の原型を留めないほどに。相手への凄まじい怨恨と執念を感じられます……」  光は沈痛な面持ちで現場写真の画像を眺めながら報告書読み上げた。  浜本は逡巡するように眼鏡越しに双眸を伏せてから、二人の提言を粛然と呑み込んだ。  「怨恨の線は間違いない、と仮定すれば後に解明される情報もまた増えるだろう。しかし、この奇妙な時期での「収賄発覚」に「石井の不審死」といい、不可解な謎が増えたな。しかし、エクリプス区の潜入捜査での収穫は大きい。少なくとも、捜査対象は人間も場所も共に絞りやすくなった」  浜本の言葉は理路整然としていながらも、曇った表情の刑事官達を奮い立たせるようにも聞こえた。  それでも、新たな死人とが出た現状を思えば、事件解決の手がかりを入手した事を前向きに捉えられる者は少なかった。  しかも、普段は毅然とした先輩刑事官二人が先程から醸す空気の冷たさも、他の班員の不安を煽った。  二人の胸にある行き場のない怒りと焦燥感、その理由を鑑みれば無理もなかった。  「所で、浜本刑事官……は、どうするのですか」  抑えきれない激情がついに漏れ出したように双眸を釣り上げた光は、彼にとって重大な"本題"をついに切り出した。  「藤堂刑事官――」  「あいつは――の足取りは今も掴めないままです」  エクリプス区の地下潜入捜査の最中。  浜本の指示で一旦元の位置へ戻った協働捜査班が発見したのは――  不自然に真新しい塗装を施された偽大理石の壁の前で倒れていた蛍一人のみ。  意識を失っていた蛍を保護するために地下から撤退を余儀なくされた。  以降、現在も黒沢刑事官は行方不明のままだ。  彼の警察端末にも搭載されている位置確認システムも通信も遮断された状態の居場所の把握も連絡も叶わない。  光は当然、蛍も内心は黒沢を案じると共に責任を感じ、事件捜査と並行して黒沢の捜索を希望している。 。
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