其ノ一『猟奇事件の暗影に』

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 漆黒で首から爪先を覆うタイツの上に、真っ黒な背広(スーツ)を重ねた蛍と光。  定まった線路と時刻に従って、地下を這い回る"鋼鉄の大蛇の腸"へ二人は乗り込む。  ルーナシティでは地下に高速電鉄道、空中には軌道鉄道(モノレール)が設置されている。  シティ全体のICT化に加え、中心都市を「どこでも、いつでも、誰もが、短時間で」行き来できる高速交通インフラも整備された。  本来は車で三十分かかる職場も、わずか数分で到着できる。  交通技術の発展によって、余分な自動車と道路の縮小と撤去は為され、交通事故も"ほぼゼロ"と化した。  ただし、最先端技術によって生まれた"平和と秩序"を彩る理想都市――その中枢で暮らす人間にしか垣間見れない"暗影"も、二人は知り尽くしている。  職場の玄関口に着いた二人は受付認証機に身分証明たるIDカードの情報画面をかざす。  認証が完了すると同時に、二人は俊敏かつ粛然とした足取りで事務所へ向かった。  『刑事部門』と彫られた灰銀色の合金扉。  入り口横に設置された認証パネルには、警察端末に登録された警察証をかざす。  職場に行くだけで、複雑なのか効率的なのか時折首を傾げたくなる手順を経て、二人は事務所へ足を踏み入れた。  「刑事部・霜月班。蛍・櫻井。ただ今到着しました」  「刑事・葉月班。光・藤堂。ただ今到着しました」  蛍と光の職業をそのまま象徴する『ルーナ警察署本部』の建物内にある刑事部の事務所。  二人は共にルーナシティの治安を守る「警察官」だ。  二人の粛然としたあいさつが、二十席のデスクが並ぶ事務所へ響き渡った後、"一人の刑事官"は飄然と姿を現した。  「よお、お疲れさん! 二人共! 相変わらず早いなぁ!」  「おはようございます。黒沢刑事官。珍しいですね、あなたが先にいるなんて」  おそろいで出勤した蛍と光を気易く迎えたのは、同僚の『弓弦(ゆづる)黒沢(くろさわ)』だ。  蛍にとっては先輩、光にとっては警察学校からの同期で"親友"に当たる。  軽やかなモヒカンスタイルに整った眩い金髪。  粗野で軽薄な雰囲気を裏切らないハスキーボイス。  旧時代であれば、金髪とゆるゆるな襟とネクタイの時点で社会人失格(アウト)だ。  派手な見た目も中身も気さくなチンピラそのもの。  しかし、こう見えても警察官歴は数年超えの、かなりの"やり手"らしい。  黒沢が現場で発揮する"野性並み"と一目置かれる勘の鋭さ(嗅覚)は侮れない。  警察官とは、基本的に理屈で事件に取り組む。しかし、黒沢は型破りな視点で現場や犯人の思考を分析する直感力に富み、難事件の手がかりや犯人の特定にも貢献してきた。  ただし、非協調的で無礼、軽薄な言動に加え、計画を無視した"猪突猛進さ"でしばしば現場を掻き回す点を除けば頼もしいのだが。  周りもだけでなく、親友である光もまた黒沢の奔放さに頭を抱える。  「お前な。私語は慎めって、いつも言われているだろ? まったく」  「まあまあ! そう堅くなりなさんな二人共! 俺達の仲だろ? 真面目すぎなんだよ、光! なあ? 蛍。」  肩を竦めて笑う黒沢に光と蛍は溜息を呑み込んだ。しかし、これでも蛍は恋人の親友、同僚としても頼りになる黒沢に心を置いている。  黒沢も同様に、蛍を生真面目な妹分のように親しく接してくる。  「ここは警察署で今は勤務中。つまり、名前呼びは慎んだほうがいいかと。黒沢刑事官」  「はいはい。ったく、蛍も相変わらずだなあ。俺の目は間違いなかった。お前らお似合いの"夫婦"になるぜ」  「ばっ! お前なあ!」  蛍へ灯す光の恋心に逸早く気付いた黒沢こそが、二人の仲を取り持った存在だ。  黒沢に背中を押された光が蛍へ告白し、晴れて恋人同士になったことを黒沢は誰よりも茶化し、心から祝福した。  光を揶揄って飄々と笑う黒沢、彼を(いさ)める呆れ顔の光。  二人を静かな瞳で微笑ましく見守る蛍。  職場内でも仲睦まじく言葉を交わす三人のもとへ、霜月班と葉月班の他刑事官も集合した。  「皆さん、おはようございます。あの……櫻井先輩」  「おはよう、望月刑事官。あれからどう?」  「はい。前に話した"彼氏の件"ですが」  『奈々(なな)望月(もちづき)』刑事官。  蛍と同じ霜月班に今年配属された新米だ。  数少ない女刑事官同士の上、大人しめな望月を蛍はさりげなく気にかけてきた。  蛍は警察官としての能力の優秀さに限らず、後輩や同僚にも気配りの届く。 故に望月を含む多くの後輩刑事官は蛍を"先輩"と呼び慕う。  大人しくも芯の通った声色で耳打ちしてきた望月の"恋愛相談"にも、蛍は面倒見良く頷いていた。 ・
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