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「皆さん。集合しているかね」
刻限に入った所で、刑事部『永谷総部長』は「緊急会議」の場に姿を現した。
刑事官一同は粛然と敬礼する。
刑事部を統率する永谷部長は、一見警察官らしからぬ温厚な顔立ちの初老男性だ。
しかも、劣等コンプレックスで有名な某心理学者を彷彿させる円やかな容貌、特徴的な丸眼鏡は印象に残りやすい。
朝礼を簡潔に述べた部長は、自身の警察端末を震える指先で器用に操作する。
他の者達も各自の端末を開いた。
永谷から送信された電子報告書を表示する画面は空中へ照射される。
報告書の内容へ目を通した後、刑事官一同は驚きと困惑にざわめいた。
ただし、蛍一人にとっては"予想通り"だった内容を前に冷静な表情を崩さなかった。
固唾を呑む部下達に対し、部長は荘厳な声色で説明を始めた。
「霜月班と葉月班。この二チームを集めたのには理由がある。まず葉月班の担当する例の『福祉省・総大臣の事件』の進捗はニュースからも耳に入っているね?」
刑事部では、原則・一組に刑事官三人で構成された班に分かれ、通常は班の適性に応じて各事件を担当する。
しかし今回の「緊急会議」では、二つの異なる班チームが同時召集された。
ICT安全警備の導入されてから八年間のルーナ警察署では、今までにない異例の事態だ。
今回のような国の上層部絡みや、国民の安寧を脅かしかねない異例の事件なら、「例外規定」が下りても腑に落ちる。
国の一大臣が殺害された一大事に、ルーナ警察は迅速な事件解明と犯人逮捕の責務へ躍起になっているのだろう。
刑事部の責任者たる永谷部長は"新たな捜査方法案"を告げた。
「日昇国の福祉を政策的に支える大臣まで殺害された。一方で、刑事部でも深刻な"人手不足"に歯止めがきかない。由々しき事態だと考えた警察上層部から"例外発令"は下された」
「『連続猟奇殺人事件』の捜査には、霜月班と葉月班の協働で進めよ、とのことだ」
やっぱり――永谷部長の台詞に、蛍は納得した様子で冷凛な瞳を細めた。
部長隣に立つ副部長『智輝・浜本』は一歩前に出てきた。
「手始めに。大臣殺害事件の概要と捜査の進捗について、情報の確認と共有をする。今回の協働捜査チームの"総長"は私が務めることになった」
浜本は画面の報告書へ目を通しながら、理路整然と説明を始めた。
理知的な印象を与える細長い金属縁の伊達眼鏡越しに、やや神経質そうに細められた瞳。
耳元辺りで丁寧に整髪された灰茶色の短髪。
皺一つない清潔感溢れる背広を最も着こなしているのは、間違いなく浜本だ。
冷静沈着で頭脳明晰。若手でありながら同世代の若い刑事官の上司として頭角を現すエリート中のエリート。
蛍とは似て異なる優秀な刑事官として浜本も一目置かれる存在だ。
故に自他共に厳格で、不真面目な黒沢や新米刑事には敬遠されがち。
一方で確固たる信念を燃やす蛍や光は当然、黒沢のように"扱いづらい"同僚もさりげなく気にかける"面倒見の良さ"とも捉えられる"対等主義者だ。
警察官としての規律と礼節を重んじ遵守する姿勢も、蛍達にとっては信頼と尊敬に値する良き上司だ。
「十一月一日・午前八時五十二分。福祉省・子ども若者部門の総大臣、幸助・小笠原(六十歳・男性)の遺体が発見された。遺体は、ニュームーン区・ムーンストーン公園の植木に逆さ吊りれた状態でした。第一発見者は朝の清掃職員で、警察に通報しています。現場に駆け付けた葉月班と鑑識部は、地域住民への心理的影響を考慮し、『青い幕』を施行」
静粛と耳を傾けていた刑事官達は戦慄に固唾を呑み、冷静沈着な蛍ですら一瞬柳眉をひそませた。
『青い幕』とは、事件現場の秘匿性の高い情報保護、地域住民への影響を配慮するための視覚的遮断だ。
青い筒型の機材を現場に配置してから起動すると、特殊青灯の暗幕が凄惨な現場を覆い隠す。
今回のような国の重役人の関与する事件では頻繁に適用される。
しかし、今回はそれだけの理由に留まらない。
「つまり、被害者の遺体は"常軌を逸した状態"にあるのですか」
青い幕を適用された事件現場、浜本の沈鬱な表情から察した蛍の言葉に、両班の空気は慄然と凍りつく。彼女の質問に対し、浜本は沈黙で肯くと重い口を開いた。
「現場の惨状と鑑識部の分析から分かるのは…… 被害者は」
全裸にされた状態で頭頂部と腹部を切り裂かれた――。
遺体の傷口の奥には、総額・五千万円の紙幣を大量に詰め込まれていた――。
同時に会議室の映写幕に映った二頁目の報告書。
文章に添付された凄惨な現場と遺体の写真に、若輩の刑事官は口元を押さえて青褪めた。
光や浜本ですら、動揺や不快感を瞳に宿す一方、蛍は冷徹な眼で写真を観察している。そして、飄々とした刑事官・黒沢は。
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