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東京に出てきた時はこんなわびしい人生を送るなんて想像もしていなかった。
大学に進学した時は、光に満ちた人生を歩いていけると思っていた。
子供の脳みそはお気楽で無責任で、そして無知ゆえに残酷な現実にぶち当たって初めて無力さに気づく。そうして、夢から醒めていくたび大人になるのかもしれない。
駅に向かう途中、ふと脇道に顔を向けると洋風のランタンが目についた。
東京の目に痛いほどの灯りの中で霞みそうなぼんやりとした光なのに、なぜかすごく引きつけられた。
店先にぶら下げられているそれが浮かんでいるかのように見える。あまりに幻想的で足がそちらに向く。
ふらふらと花の香りに吸い寄せられる蝶のごとく店の前に立つ。
アイリッシュパブをイメージした外観で、黒い木目が上から当てられた照明で艶やかに照り光る。
頭上に掲げられた金字の英字。
『TO THE MOON』
月へ、か。
そういえば、今日は満月だった。
東京の星が見えない空にその存在を知らしめるように浮かんでいる月を見上げる。
月を見上げることも最近なくなっていたことに気づく。
「一杯飲んでいこうかな」
ぽつりと漏れた独り言が自分でも驚くほど疲れ果てていて、空しく残暑厳しい蒸れた空気に消えていく。
給料も入ったところだし、ちょっとの贅沢をしてもいいだろう。
この空間から無性に逃げたくて、重厚な扉を押して入った。
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