12人が本棚に入れています
本棚に追加
「相沢、遅刻だぞ」
教室の扉を開けた瞬間、教室中の視線が自分に集まるのを感じる。
「すみません」
田中望の席を見る。一番窓側の列、後ろから2番目の席がぽつんと寂しく空いていた。望はおとなしく目立たない生徒で、いてもいなくてもクラスの雰囲気は何一つ変わらないのだが、行方不明となっては話が別だろう。しかしもっと騒いでいてもよさそうなのにこのクラスがこんなに静かなのは、担任の安達が自慢の大声で怒鳴り散らして黙らせたからだ。
「早く席に着け」
拓海はこの担任が嫌いだった。そもそも大人という存在が苦手だが、この担任は特に好きになれない。いつも何かに怒っていて生徒を威圧する。大声に頼る大人ほど本当は弱いことを拓海は知っている。それしか子供を従わせる術がないことを。そして反発すると大人の勝手な理屈で言いくるめられ、甘いと言われ。
子供だから甘いのか。大人は大人というだけで何を言っても正しいのか。結局、どうしたって子供は大人には敵わないのだ。大人の言うことは絶対で、黙って従う子供がいい子で。拓海が中学校3年間で学んだことといえば、それくらいだった。
しかし高校生になってみると子供は子供で勝手な生き物で、拓海はもう、自分を含めヒトという存在自体を疎ましく思うようになっていた。
「みんなもう知っていると思うが、このクラスの田中が先週金曜日の放課後から行方不明になっている。どんなに些細なことでもいい。何か知っていたら教えてほしい」
事件があった日の放課後、望と話をしたことは言わないことにした。あの日のやりとりを思い出す。たまたま望と廊下ですれ違い、教室の鍵を職員室に返しておいてほしいと頼まれた。
そう、あれは偶然あの日だったというだけで、偶然あのときすれ違ったのが拓海だったというだけで、だから偶然面倒なことに巻き込まれる必要はない。
知らないふりをして帰ろうとしたが、放課後、拓海は生徒指導室に呼び出されてしまった。ノックをしてドアを開けると、安達と、もう1人スーツを着た知らない人が並んで座っていた。
「あの……」
「F警察の中本です。よろしく」
「警察?」
「まあ、とりあえず座ってください」
中本と名乗る白髪混じりの男性に促され、机を挟んで2人の向かい側に用意された椅子に座る。
「相沢くんだね。15日の放課後、田中望くんと話をしたというのは本当かな」
どきりとして勢いよく顔を上げ、その自分の反応でごまかしが利かなくなったことを察する。
「どうして」
そこまで言ってバカらしくなった。どうしても何も、この話をしたのは畑山だけなのだから、出どころはそれ以外には考えられない。
「2組の畑山が昼休みにわざわざ職員室まで言いに来てくれた。どうして朝のホームルームのときに言わなかったんだ」
「話を、聞いていませんでした」
面倒だから、と言うと余計に面倒なことになるのでもちろん言わない。
「聞いていなかった? クラスメートが行方不明になっているというのに、お前は――」
「まあまあ、先生落ち着いてください。相沢くん、田中くんと最後に話をしたのは君かもしれないんだ。詳しく聞かせてくれるかな」
拓海は自分の身に何が起きているのか全く理解できず、そんなことより、この担任はこんなに怒っていて疲れないのだろうかと、そんなようなことをぼんやりと考えていた。
だいたい、くわしく話すほどの情報など持っていないのだ。拓海はただ一言会話をしただけで、そこで別れたあとのことは何も知らない。
「どんな会話をしたか、覚えている範囲でいいからね」
「鍵を、職員室に返しておいてほしいと言われました」
「鍵? どこの鍵かな」
「それは分かりません」
「分からないか。それが分かると助かるんだけれどなあ」
中本はあからさまにがっかりした表情をしてみせる。
「美術室だと思います。田中は美術部だったから」
「でもはっきりとは分からないんだね。うん、分かったよ。で、君は部活は?」
「やっていません」
「では帰りのホームルームが終わってすぐに帰ったの?」
「あ、僕は、うさぎ……」
「うさぎ?」
「学校で飼っているうさぎと遊んでいました。20分くらい。うさぎ小屋の鍵を返しに行ったら、職員室の前で田中に会って」
「鍵を返しておいてほしいと頼まれたんだね」
「はい」
体中から汗が噴き出してきた。自分が何か悪いことをしたような気分になってくる。次に何を聞かれるか、拓海は手をきつく握りしめて待っていた。
「そのとき、何かいつもと変わった様子はなかったかい」
「特になかったと思います」
「そうかい。では今日のところはこれくらいで。また何か思い出したらここに連絡してください」
そう言って、中本は名刺を差し出した。長ったらしい部署名と電話番号が書かれている。
「はい。もう帰っていいんですよね。失礼します」
視線を感じながら部屋を出てドアを閉めた瞬間、肩の力が一気に抜けた。
1つ大きな嘘をついた。望から受け取った鍵。それがどこの鍵であったか、拓海ははっきりと覚えている。それは望が通っていたであろう美術室ではなく、普段生徒は用がないはずの視聴覚室の鍵だった。どうしてあんな嘘をついたのか。授業でしか使うことのないはずの視聴覚室にいたというのは、かなりの手がかりになるはずだ。
けれどもうすべてのことが拓海にとってはどうでもよかった。混乱してそれどころではなかった。
最初のコメントを投稿しよう!