2話

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2話

 翌日、拓海はいつもより1時間早く目が覚めた。寝た気がしない。学校へ行く気も起きない。しかし、今日はどうしても学校に行かなければならない用事がある。しばらくベッドでぼーっとしていたが、重い体を起こして顔を洗いに行った。  食卓へ向かうと父親が朝食の準備をしていた。見慣れない光景だったが、母が体調をくずしていることを思い出した。まだ眠っているのだろう。拓海が食べている間も父はぎこちない動きで慌ただしくしている。食器は自分で洗い、落ち着かないままに家を出た。  畑山に聞きたいことがある。いつも遅刻ぎりぎりに登校する畑山を待ち伏せする。 「おはよう、タク。誰か待ってるのか」 「畑山を待ってたんだよ。聞きたいことがあるんだ」  気になることがある。どうしても聞いておきたいことがある。けれど、喉まで出かかっている言葉が出てこない。 「なんだよ、遠慮せず言えよ。タクからオレに話があるなんて珍しいな。しょうがねえな。力になってやるよ」  畑山がこんな性格でよかった。畑山といると、深刻になるのが無駄なことのような気がしてくる。それがよいのか悪いのかは分からないが、とりあえず今はよかったのだと思う。 「楽園へ行く列車の話、知ってるか」  こんなことで畑山に借りをつくりたくない。でも話せる相手が他にいないのだ。 「タクって田中と仲よかったのか」 「どうして田中の話だって分かった?」  いきなり望の名前を出されて動揺した拓海は、まったく質問の答えになっていないことに気づかなかった。 「金曜日も何か話したんだろ。一緒にいるところなんて見たことないけど」  拓海の方も望と仲がよかった記憶などない。なぜこんなに望のことが気になるのか。何かがひっかかっているのだが、その何かが分からないのだ。 「えっと、俺の質問は聞いてたよね」 「楽園の話だろ。オレもそういうのがあるってことしか知らねーし。つーか、ただの噂だよ。どうした? そんな怖い顔して」  普段は人の表情なんておかまいなしの畑山がそう言うほど険しい顔になっていたようだ。 「……別に」 「まぁ、田中のことは警察に任せときゃいいんだから、あんまり思いつめない方がいいぜ」  昨日里菜に言われたことを畑山にまで言われてしまった。 「急がないとまた遅刻するぞ。昨日安達が、相沢は何とかだから何とかってグチこぼしてきてさぁ」 「田中のことを話しに行ったときか」 「そうそう。感謝されちゃったよ」  悪びれる様子もなく言う。告げ口したという意識は欠片もないらしい。 「話はそんだけか。じゃあな」 「ちょっと待って」  慌てて畑山の鞄をつかんで、力の限り引っ張った。ホームルームの開始を告げるチャイムが鳴る。 「あー、タクのせいで遅刻だ」 「ごめん。俺のせいだって言っていいから。あのさ、最後に1つだけ」 「何でも聞けよ。親友だろ!」  今さら親友という言葉を否定するのも面倒くさい。 「その列車の話、最初に言い出したの誰だか分かる?」 「それはさすがに分かんねーよ。オレも誰から聞いたか覚えてねーし。どこからともなく始まって、なんとなく広まっていったんじゃねーか」 「そうなんだ」 「せっかく教えてやったのに、なんだよその反応は」  これで教えてやったつもりなのだろうか。何の情報も得られなかった。畑山が何も知らないと分かっただけだ。 「ごめん」 「何が」 「遅刻したから」 「気にすんなよ。親友だろ!」  拓海は本当に混乱し、そんな自分に動揺していた。あの場で拓海が引き止めなくても、畑山が1歩踏み出したところでチャイムは鳴っていたことに気づかないくらいに。  昨日と今日とで、すっかり遅刻に慣れてしまった。1分でも5分でも遅刻には変わりないので無駄に急ぐことはしない。のんびり教室へ向かうと安達の大きな声が廊下中に響いていた。その瞬間、すっかり教室に行く気が失せてしまった。  また何か言われるのだろう。どうせたいした連絡もない。初めてホームルームをサボってみることにした。とりあえず、こんなところにいては他の教師に見つかってしまうので、どこか人目につかない場所に移動したい。クロと遊ぶには職員室に鍵を取りに行かなければならないし。  鍵。ふと思い出した。あの日望は視聴覚室で何をしていたのだろう。視聴覚室は2階のいちばん端にある。この時間、誰かに見つかる心配はない。行ってみれば何か手がかりが見つかるかもしれない。  昨日家に帰ったあと、何気なく見ていた夕方の情報番組で望の事件を扱っているのを見た。今までにこういうニュースで何度となく見た、被害者を知る人たちのコメント。しかし、それが身近な人について言われているのを見ると、あらためてとんでもないことに関わってしまったと実感した。 『おとなしい子だったけれど、会うとちゃんと挨拶してくれてね、いい子だったよ』  同じマンションの主婦。 『寄り道なんか一切しないで、朝と夕方、毎日おんなじ時刻に店の前を通るんだよ。家出なんてする子じゃないね』  これは望の通学路にある喫茶店の店主の言葉だ。  分かってはいたが、望のことを悪く言う人はいない。望だから事件になったのだ。これがたとえば、昨日体育館で恐喝をしていたような連中だったならば、少しの騒ぎにもならないだろう。  用心深く辺りを見回し、誰にも見つからず視聴覚室にたどり着けた。安心して中に入ろうとしたが、扉に貼り紙がしてある。そこには、目を凝らす必要もないほどのくっきりした赤い文字で『使用禁止』と書かれていた。紙のくたびれ具合から見てここ2、3日の間に貼られたものではなさそうだ。  視聴覚室が使用禁止。そんな話を聞いた覚えはない。そこまで考えて、そもそもいつも安達の話など聞いていないことを思い出した。これからは少しは話を聞こうと反省した。  しかし、使用禁止の教室で望は何をしていたのだろう。そもそも使用禁止の教室の鍵を貸し出しするだろうか。  そう考えたとき、5日前の記憶の断片が一瞬頭をよぎった。  あの日職員室へ行ったときの記憶。そのときは特に違和感を覚えたわけでもないのに、なぜ突然思い出したのだろう。自分の記憶が正しいか確かめたいが、ホームルームをサボって堂々と職員室へ行くわけにもいくまい。それどころかもう1限目の授業が始まっている頃だ。今からでも授業に出て、放課後実行することにした。時間割を思い出す。1限目は、安達の数学だ。 「これをxに代入すると」  できるだけ静かに扉を開ければ安達の声でかき消されると思ったが、それなりに大きな音が鳴ってしまった。視線が集まる。昨日と同じ光景だ。 「お前は昨日も遅刻したな。もっと高校生としての自覚を……」 「中学生なら遅刻してもいいんですか」  教室の空気が張り詰めるのを感じた。安達は反論されるとは思わず、言葉を失ったようだった。目を丸くしているクラスメート達の顔が何となく視界に入ってきたが、安達に言い返す自分に、誰よりも拓海自身が驚いていた。なんだかイライラする。今日は、安達の型にはまった説教を適当にやり過ごす気になれなかった。 「相沢、お前は。まったく反省の色が見られん。反省文を書いて今日中に提出しろ」 「反省の色ってどんな色ですか」  緊張した空気が緩み今度は失笑が漏れる。こらえようという努力は感じられるが、どうやらみんな限界らしい。 「どんな色ですか。教えてくれないと反省文が書けません。原稿用紙何枚ですか。提出期限はいつですか」  見る見るうちに安達の顔が赤くなっていく。 「もういい。授業の邪魔をするなら帰れっ」 「分かりました」  そう言って右に90度回り扉を開けると、目の前に柴田が立っていた。昨日見た場面を思い出しておもわず1歩後退る。 「柴田、お前も帰れ」 「え、何だよ。来なくていいなら来る前に言えよな」  柴田と安達が話している間に拓海は教室を出た。足音がペタペタと響く。後ろから柴田が追いかけてきた。昨日拓海が恐喝現場にいたことはもちろん知らない、はずだ。 「お前、何やったの? 名前知らねーけど、お前のおかげで帰っていいんだってさ。ありがとな」  前のボタンを全開にした制服と茶色の髪を揺らしながら、柴田は大股で拓海の先を歩いていく。  これからどうしようか。丸1日空いてしまった。放課後まで残りたいが、帰れと言われてしまっては職員室へは行けない。視聴覚室で思い出したことを確かめるのは、今日のところは諦めよう。  家に帰れば仕事を休んだ母がいる。いろいろうるさく言われるのは嫌だった。少しの間クロのところで時間をつぶすことにした。鍵がないので小屋は開けられないが、見ているだけでも十分だ。小屋の外から触れるだけでもじゅうぶん癒しになる。
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