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寝て起きて、何事も無かったかのように大学に行って。朝っぱらから講義を受けて、すげぇ眠たいなと思って図書館に行って。
人が少ないしそもそも春休み明けて間もないから、寝ててもバレなさそうだと思って窓際のすごく日当たりの良い席に陣取った。
案の定すごくポカポカしてて、気持ち良くて、そのまま突っ伏したらすぐに春の風に寝かしつけられてしまいそうで。
あぁ、眠いせいかすんごい身体が重たいな…なんて思っていたら背中に温もりを感じた。春の風よりもっと温かかったし何より、抱き締められている感覚がした。
なんだか嗅いだことのある香りがすると思いつつ顔を上げると、やっぱり。
椅子に座る俺の背中を、立ったまま後ろから抱き締めている何か…というか誰かがいた。
友だち…じゃないな。俺の友だちはこういうことする奴はいないと思うし、何よりこんな背の高い奴は友達にいないと思う。
俺が起きたらしいのを感じ取ったのか、覆い被さっていたそいつはのっそりとした緩慢な動作で身体を離して、俺の目の前の席に座った。
顔をまじまじと見つめられるし、俺も見る。
………誰、コレ。
「おっはー十色くん。今日早いじゃん?おかげでオレも寝不足ー」
「いや、アンタ誰」
声は、聞いたことある気がすんだけどな。匂いも。
「きみは髪色でひとを識別してるのかい」
「ん?んんんー。いや、どっちみち誰」
「桜の…あ、今日は違ぇわ…じゃあ海苔の精です」
「海苔…」
「そ。きみが昨日食べた海苔弁の、箱にこびりついて食べてもらえなかったやつ」
「だからさ、何で知ってんの」
「探究心旺盛なんだなぁ」
「違ぇと思うなぁ」
俺の目の前に座ったのは、先日の自称桜の精だった。髪が桜色じゃなくて真っ黒になっていたから本当に誰だか分からなかったが、桜の精の素性も分かってないからどっちみちコイツ誰だとは思ってる。
とりあえずあの変な奴だ、という認識はあるけど。
「このあと暫く暇でしょ?どこ行く?一旦ウチ来る?」
「………もっかい寝よ」
「もっかい抱き締めるけど、いい?」
「いくない」
「いくないかぁ」
「逆に何でいいと思ったん?てか、貴方はどなたですか」
「やっと興味持ってくれたぁ!」
俺が訊くと、ソイツは鬱陶しいくらいにパァアッと顔を輝かせて身を乗り出した。図書館内に居た数名の生徒や職員さんが頬を薄ら朱く染めてこちらを見ている。
うーん、そういやコイツ顔が美形なんだった。言動が怪しすぎて忘れてた。眩しいのは太陽のせいだけじゃないらしい。蛍光灯のせいだった。コイツではない。
少なくとも俺にとっては。
「お前、何で俺に付き纏うわけ。何が目的」
「えー、きみ」
「は?」
「だから、きみ」
「黄身?」
「you、きみだよ、十色くん」
「お金は持ってませんが」
「大丈夫、オレが稼ぐから」
「えと…もしかして幼い頃将来を誓い合ったあの…?」
「そうそう、その子オレだわ」
「そんな子いねぇんだよなぁ」
「じゃあ違うわ」
なんなん。何が目的なん。もしかして。
「友だちが欲しいとか?」
「いや別に。my other halfが欲しい。つまりきみ」
「待って英語分からん」
「文系なのに」
文系理系関係なくコイツの言っていることが分からん。さっぱり分からん。誰か通訳してくれ。
「俺のこと好きなの?」
「いや、別に」
「いや…別に…?」
「何か暇そうだし、部屋隣だし、一人で本読んでるし、地味だし一見頭良さそうなのに別にそうでもないし、食生活は不規則で心配だし丸い後頭部撫で回したいしいいケツしてんなと思ったりゴミ出しちゃんと分別してて偉いなと思ったりするけど別に。好きとかでは」
「………好きなのでは?」
おうっと危ない。思わず思ったことがすんなり出てしまったが、何だか聞いちゃいけないことも聞いてしまったようだ。
早口で全部は聞き取れなかったけど、それ絶対無関心な相手に思うことじゃないよな。ちょっとセクハラみたいな発言も混じってたけどさ。
「そうなのかな?」
「あぁいやゴメン、絶対違うと思う。勘違いだよそれ、お前は俺のこと何とも思ってないよ絶対。五百円賭ける」
「五百円かぁ…。金額設定までもがクッソかわいいな…」
あー、駄目だこれは。俺、そもそもコイツのことよく、どころか全くといっていいほど知らないのに。顔も元々覚えるのが苦手ってこともあって、こんなに美形でもちゃんと覚えられてなかったってのに。
というか名前も学年も、学部も知らない。特に知りたい訳でもないけども。
「あのさぁ自称桜…じゃないや海苔の精さん。アンタここの大学の人?」
「お前からアンタになった。ここの大学の人」
「学部は?」
「きみと同じ…だったら良かったのになぁ受験の時にもっと早く気づけていれば…!法学部です。学年は一緒」
「頭良いんだなぁ…。頭おかしいのに」
「うーん辛辣。五億点」
「やっぱ勉強のし過ぎなのでは?」
頭がいい人と変人って紙一重って言うし。多分それだわ。どうでもいいけども。
「趣味は人間観察。最近は主に隣の部屋の人。食生活が心配なのでご飯作りに行きたいけど何て言おうかなってのが今の悩み」
「やめとけばいいと思う」
「なら野菜も食ってくれ」
「その隣人に言えよ…。まぁ善処するわ」
話すトーンは柔らかで、先日の桜のベンチのことを思い出す。髪色、何で変えたんだろうな。アレも結構似合ってた…気がするのにな。
「髪は桜色で大学行ったら流石に目立つと思って」
「超能力者なん?てか無意味だと思うけど」
髪色関係なく、すでに結構目立ってる。時間が経って人が増えてきた図書館ではもう、行き交うほとんどの人が彼に見惚れていた。ちゃんと前見て歩けよ。
「十色くんは、オレに見惚れてくんないなぁ」
「お前は…中身がなぁ」
「………さくら」
「ん?」
「オレの名前。さくら。覚えてね」
「いや、今後使う機会無さそうだから、別にいいかな」
「さぁどうだろう」
桜の精でも海苔の精でもなく、さくら、と名乗った彼は今までのほんわかした笑みじゃなく、どこか挑戦的に笑った。
その不敵な感じに図書館だというのに周囲から息を飲む声やちょっとした歓声が上がるが、俺はただグレーの瞳を覗き込んでいた。
さくら。
窓の外ではひらひらとまだ舞い踊っているあの、儚くて図太いあの花と同じ名前。
声には出さずに口の中だけでその音を転がしてみただけなのに、さくら…彼はやたらと嬉しそうに目を細めて俺を見ているのだった。
「とりあえずは付き纏うのやめてください」
「分かった。とりあえずはお友だちから」
「ふむ。却下」
「合鍵作っていい?」
「何でいいと思ったん?」
「流れで」
「流れかぁ」
今じゃないよな。絶対分かってて言ったんだろうな。俺に塩対応されるの好きみたいなこと言ってたもんな。無理があるよ、さくらくん。
でも許可を取ってくる辺り、まだいいのかも。知らんけど。
「改めてよろしくね、十色くん」
「よろしくしないよ、さくらくん」
その日、大学から帰るとスーパーの袋を持ったさくらくんが家のドアの前で座り込んでいたので、思わず家に上げてしまったことは不可抗力。
さば味噌って何であんなに美味いんだろうな。
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