42人が本棚に入れています
本棚に追加
第71話 魔法の鍵
「そう! この前のシンメル、あのあと大変だったんです!」
「何が? また変になっちゃったの?」
「いえ、鍵が掛かっちゃって」
奏が聖が帰った後の出来事と、空が偶然持っていたシンメルの鍵で蓋が開いたことを話した。
「へぇ。渚の彼氏が持ってたの?」
渚が肯く。
「その金色の鍵、空と出会った時に空が駅に落として行って、それをあたしが拾って浜松に届けてからいろいろ始まったんです」
「なにそれ」
今度は渚が空との今に至る話をする。聖は時々頷きながら黙って聞いていた。
「せやけど、その鍵、また落としてしもて行方不明なんです。二人の絆の鍵やのに」
「落とした?」
奏もびっくりしている。渚はコクンと肯いた。
「空も覚えてへんし、あたしもそれどころやなかったから」
すると聖が顔を上げ、後ろを振り返って立ち上がった。そのままテーブル上のバックをガサガサしている。そして、すぐに戻って来ると、その手を渚に差し伸べた。
「二人の絆の鍵ってこれのこと?」
その手には、SCHIMMEL PIANOSと刻印された、あの金色の鍵が握られていた。
「えー? なんで?」
渚が口をあんぐりと開ける。
「ピアノの下に置いてある楽譜に挟まってたの。おばあちゃんのレッスンの時に見つけたのよ。でもピアノのロック部分はテーピングしてあったし、使わないなって、取り敢えず私が預かっていたの。あのピアノを弾くのって私くらいだって聞いたから」
渚はまた驚いた。
「楽譜?」
「そう。雨だれの前奏曲」
聖が肯き、その目は静かに渚を見つめる。渚はドキリとした。
さっきの曲や。忘れられない曲ってお母さんが言うてはった曲。初めてあたしが聴いたお母さんの演奏曲。
聖は微笑んで口を開いた。
「きっと誰かがピアノの上にでも置いて、それがマガジンラックの楽譜の中に落っこちたのね。シンメルの精が蹴飛ばしてくれたのかな」
シンメルの精!? お母さんも判ってはる。渚はまた金色の鍵を両手で推し抱いた。せやからこの鍵はいろんなことを結び付けたんや。今度はお母さんに拾ってもらうために、あたしの手を離れて、『雨だれの前奏曲』に収まったんや。運命とか絆どころやない。そう、妖精が持つ魔法の鍵やった…。
聖がそんな渚の髪を撫でる。
「その絆の中に、お母さんも入れてもらえるかな? 拾い主だから」
渚は大きく肯いた。
「と言っても、渚にとっては空君とのご縁が優先よ。この先も一緒に居たいんでしょ?」
「はい。でも…」
「でも?」
「えっと、学校卒業したら、あたし、どこに就職するか判らへんから、一緒に居られるかなって…」
渚は呟いて項垂れた。すると、
「あ。それなんですけど!」
奏がまた手を叩いた。
「私、お父さんに渚ちゃんのこと話したの。そしたら卒業したらウチに来てくれないかなって。神山楽器には今、調律師がいないのよ。お父さんが片手間でやってるけど、お店あるから遠くに行けないし。それで私だけじゃ半人前だけど、渚ちゃんと一緒にやればイケるんじゃないかって。渚ちゃんならバイクでぴゅーって遠くも行けるし」
奏のお家のお店。ピアノには妖精が住んでるって教えてくれた奏のお父さんのお店。渚は心が熱くなるのを感じた。そこにこんなあたしが求められている。
奏は悪戯っぽく付け加えた。
「それに、そしたらずっと浜松に居られるでしょ、空君と一緒に」
聖と鮎が小さく拍手する。みんなの視線が渚に集まる。ずっと浜松に…。
+++
渚はそっと目を閉じた。すると瞼の裏に浮かんでくる。
仄かに潮が香る浜に海のカニが歩き、澄んだ瞳の空が微笑んでいるのを。
渚を待つ遠くの淡海、浜名湖の波は今日も穏やかである。
【おわり】
最初のコメントを投稿しよう!