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……まさか。
固唾を呑み込んで恐る恐るインターホンの画面を覗き込むと、そこにはやっぱり課長の姿が。
気が動転して声が出ない。
どうする!?でも待って!こんな格好のまま……いや、こんな格好を課長に見せようと意気込んでいたわけだけども、まだ心の準備が!
再び鳴ったチャイムに絶叫する。
どうしよう!どうしよう!
早く出ないと怒ってると思われる!
それに……
寂しげな顔の課長は、画面越しでも雨で濡れていることがわかった。
胸が痛くなって、覚悟を決めてチェーンに手を伸ばす。
「課長……」
ドアの先に佇んでいた課長は、申し訳なさそうに眉をひそめていた。
「しおり、ごめん。高梨さんとは何もないから」
開口一番に潔く謝ってくれる課長が愛しくて、彼の手を力一杯引いて玄関の中に促した。
「しおり……?」
手がすごく冷たい。
髪も濡れて乱れているし、グレーのスーツが濃くなっていて。
きっと、慌てて弁解しに来てくれたんだ。
「大丈夫ですよ。最初からわかってます。課長のこと、信じてますから」
目を細めて微笑むと、課長は綺麗な瞳を潤ませてじっと私を見た。
とくんと胸が弾む。
いつもより幼く見える眼差しに、抱き締めたい衝動が募った。
「……ありがとう、しおり」
課長は私に腕を伸ばし、でも途中でピタリと止まるとまた手を引っ込めた。
「この埋め合わせは明日させて。突然すまなかった」
そう言ってすぐに玄関から出ようとする課長。
だけど私は、握った手に力を込めて頑なに離そうとしなかった。
「……帰らないで下さい」
「しおり!?」
課長は驚いた様に目を見開いている。
恥ずかしさに倒れそうになりながらも、必死になって懇願した。
「お願いします。もう少し、一緒にいて下さい」
心の中の敦子が、「良くやった」と親指を立てている。
「でも」
しかし課長は困ったように俯いた。
胸の痛みを覚えるも、知らぬ顔で強引に課長の手を引く。
「お風呂沸いてるので入って下さい。そのままじゃ風邪引いちゃう」
あまりの押しの強さに観念したのか、ついに課長は靴を脱いで私の自宅へ上がった。
「こ、これ弟のなんで使って下さい」
声が震える。
スウェットを渡す手も、立っている足も。
絶対意識してるってバレてる。
「……ありがとう。申し訳ない」
課長は私の方はあまり見ずに、言葉少なくすぐに案内した浴室へ去って行ってしまった。
「……課長」
塩だった時代の課長を思い出し、再び胸の痛みが疼いた。
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