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プロローグ
痛みで頭が焼け付く。悲鳴をどうにか噛み殺して、痛みで固くつむった目をどうにか開いた。
少年を押し倒し腕に喰らいついた獣の姿は、おぼろげに揺らぎ徐々に色を失っていく。
消えゆく獣の左目に、息を呑んだ。眼球の代わりに青い魔石が埋め込まれ、それが彼の色を、魔力を奪い取っているのが視えた。
詳しいことはわからない。けれど、このままならばどうなるか。それは誰に言われずとも理解した。
「――いいよ」
かすれる声で、そう囁く。
もしも、このまま自分の命が潰えるのなら。それで、きみが生きられるのなら。
まだ動く逆の腕を、どうにか持ち上げた。普通の目ではほとんど見えなくなった獣に触れる。
触れた陽炎のたてがみは、なおも優しく暖かなままだった。
*
喧騒は街の花。霊峰イスベルクの裾野に位置する小さな街――トラッキルスでは、燦々と降り注ぐ陽光の下でいつもと変わらぬ日々が繰り広げられていた。
街の片隅に佇む、二階建ての小さな店。正面からは二階にふたつ、一階にひとつの窓が見える。少し古びた扉の上部には「道具屋 ルティ」と看板が付けられ、扉には「準備中」の札がかかっている。
準備中となっている扉の呼び鈴を、無骨で体毛の厚い獣の手が慎重そうに押し鳴らす。
店の呼び鈴が鳴り響く。一度目で目は覚めた。壁にかかる時計を見た辺りで二度目の呼び鈴が鳴る。
どうにか上体を起こして、左手をじっと見つめた。いくらか握ったり開いたりを繰り返す。
(……ずいぶん懐かしい夢見たな)
そんなことをしている間に、もう一度呼び鈴が鳴らされた。
「はいはい、少々お待ちを」
すでに日は高く登っており、周囲はとうに店を開いている時間帯。扉の案内は未だ「閉店」にしておいたままだったが、かけかえ忘れとでも思ったのだろう。こんな不真面目な店主の店とは思わなかったのだろうから。
居住スペースの二階には雑多に様々な物が床に転がっている。壁際には本が積み上げられ、室内は実にごみごみとしている。そんな中、床に転がる物品を器用に避けながら店主は下へと降りていく。
寝癖を直す手間も手櫛でまかない、青年はざっくりと身支度を整えた上で店の扉を開いた。
「いらっしゃいませ、お客様」
人好きのする軽い笑みに、一瞬性別を見紛うような赤い長髪。癖っ毛を結うことなく肩へ流した青年――リーヴはカウンターの内側にゆったりと腰掛ける。そしてやってきた客へと目を向けた。
入ってきたのはジャッカル頭の偉丈夫だった。人間のリーヴよりも背丈はかなり高く、危うく扉の上部に頭をぶつけるほど。浅黒い肌にいかつい表情は、初めて見るものを威圧させる相貌にも見える。けれど、あいにくリーヴはその辺りに気後れしない性格だった。いつだって考えていることは、目の前の事象が「面白い」か否かだ。
(いいトコの御仁っぽいんだけどなぁ)
上から下までばれないように値踏みをしたリーヴは、そう心の内でつぶやく。
リーヴがひとりで切り盛りをする道具屋、ルティ。予め道具に魔法を込めた「魔道具」を扱っている。他国から仕入れて客に売る販売をはじめとして、簡単な魔道具の修理なども行っている小さな店だ。
ただ、取り扱う魔道具は日常生活であれば便利だがなくても困らないものばかり――呪文ひとつで美味しいスープができる鍋、ひとりで庭の草刈りをしてくれる鎌などだ。
正直なところ、祝日まで仕立ての良い服をかっちり着こなす、彼のような客のお眼鏡にかなう商品を置いてはいない。さすがにリーヴも身の程をわきまえている。互いの領分を侵さぬよう振る舞っているつもりだ。ここ最近は。
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