1988年

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 オリンピック討論に口角泡を飛ばす501号室の陳、劉、祁、張、陸、徐、馮の七人。  ところで八人部屋である。あとの一人は不在なのか? いや、その一人も同室内に居るには居るが、彼、呂学生はソウルオリンピック開会式中継に背を向け、ベッド上に強引に設置した個人購入のマイテレビを視聴している。  しかしアンテナケーブルは各部屋に一線しか敷かれていないので、呂学生が視聴しているのはテレビ放送ではなくビデオ。このマイテレビはビデオ再生専用ブラウン管デバイスということになる。  テレビもビデオデッキも日本製、そして日本でオンエアされたテレビ番組を録画したビデオテープは香港からのお取り寄せ。その費用には家庭教師で得たアルバイト料の全額が充てられていた。  ソウルオリンピック開会式中継は中国選手団の入場行進にさしかかる。 「中国選手団だ!」 「壮観!」 「祖国万歳!」  韓国への屈折した感情も霧散しルームメイトは無邪気な歓声を上げるも、依然として呂学生は関心を寄せず、日本のテレビ番組にかじりついている。  好きこそものの上手なれ、とはよく言ったもので、呂学生は日常会話のヒアリングが理解できる程度の日本語を独学で習得し、辞書に掲載されていない若者流行言葉の語彙力においては同校の日本語学科教授をも脱帽せしめた。  陳学生は呂学生を誘ってみる。 「おい呂、中国選手団の行進だぞ」 “桑”は彼の名ではなく仲間内から呼ばれている渾名である。『桑』の中国語発音は[sang]、日本語の敬称『さん』に近いことから、日本かぶれの彼は『さん付け』が渾名になってしまった。以降、呂学生を『呂桑(ろさん)』と表記する。
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