1988年

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1988年

 1988年9月17日中国広東省広州市中山大学構内。  原則、中国の大学生は構内敷地の学生寮にて起居する。80年代当時の学生寮はお世辞にも快適な居住環境とは言い難く、二段ベッド四台を押し込めた八人部屋は国家重点大学に指定されている広東省随一の名門校、ここ中山大学の学生寮であっても(うずたか)く積み上げられた教科書や参考書や辞書を除いては日雇い労働者の簡易宿泊所と大差はない。  構内敷地、男子学生およそ四百人を収容できる学生寮の一棟におじゃましてみる。  屋内はコンクリート打ちっぱなし、食堂や浴場は別棟で、何ら憩いのスペースも設けられていない無骨で簡素な造り。入口脇の管理人室と購買部を横切ると、便所から漂ってくるアンモニア臭と消毒液臭が鼻腔を衝く。洗濯機という文明の利器は備え付けられておらず衣類はバケツに浸け置き洗い、脱水もおざなりに雫滴るまま室内干し。冷蔵庫も備え付けられておらず保存食はインスタントラーメンのみで賄われ電気コンロはフル稼働で麺を煮続け、分煙などという上品なエチケットも未普及の当時、タバコの煙は常時立ちこめている。  そのアンモニア臭、消毒液臭、洗剤臭、インスタントラーメン臭、ニコチン臭が混濁するプライバシー皆無のタコ部屋も大志を抱く若きエリート達にとっては些細なストレスにすぎないが、いかんせん娯楽に乏しい当時の中国、寮内における余暇は読書、賭けトランプ、賭け麻雀、そしてテレビがその全てであった。  そのテレビ受像機も備え付けではなく、同室のルームメイト各々が資金を拠出して購入する。市場経済が導入されて間もない中国の明日を背負って立つ若きエリート達は洗濯機や冷蔵庫の不備は我慢できても、最新メディアから取り残されてしまうのは我慢ならないようだ。  そして本日1988年9月17日、学生寮全室のテレビのブラウン管に映し出されているのはソウルオリンピック開会式中継、学生達は粟立つ胸中でそのセレモニーに見入っていた。  八人部屋の一室、計算機工学科男子三年生が寝食を共にする501号室におじゃましてみる。 「漢城(ソウル)でオリンピック、それも二大会ぶりに東西両陣営が概ね出揃った参加国史上最多大会か……」  と、歯軋りする陳学生。 「漢城など平壌とたいして変わらないだろうとの認識であったが、随分と発展してるではないか」  と、劉学生は舌打ち。 「抗美援朝(朝鮮戦争)から三十五年で、これほどの復興を成し遂げられるものなのか」  と、祁学生は感歎する。 「なんの、日本は敗戦からわずか十九年で東京オリンピックを開催したではないか」  と、物知り顔の張学生。 「韓国のような小国ですらオリンピックを開催できるのだ、ここは素直に西側陣営の優位を認めるべきであろう。やはり資本主義こそが人類を幸福に導くのではなかろうか」  と、陸学生は思沈する。 「その見解は正しくない。中国と比べれば韓国は小国かもしれないが、GDPランキングに照らせば堂々たる新興国の雄だ。なに、我が国もオリンピックぐらい開催できる日が来るよ。同じアジア人だ、日本人や韓国人に成し遂げられる事象が中国人に成し遂げられないわけがなかろう。このまま経済成長が順調ならば十二年後の2000年……ではまだ尚早か。じゃあ数字の縁起もよい二十年後の2008年だ(中国では“八”が財を成すとの意味があり縁起がよいとされる)」  と、徐学生はまんざら当てずっぽうでもなさげ。 「2008年北京オリンピック、なんだかSF小説のようだなぁ……」  と、馮学生は二十年後の近未来都市北京をうっとり思い描く。  
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