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カチカチ山
小説家の太宰治氏が、おとぎ話のカチカチ山をパロディー化しているが、あれは実に面白く、私もパロディー化してみたいと思ったが、やはり原作以上のものは書けない。否、書けるタヌキもある。ウサギはタヌキ以上にタヌキである。
タヌキはフーサイのあがらぬ小説家で、ウサギは美女である。タヌキがウサギにデートを申し込むとウサギはフンフンと鼻先であしらって聞きながらデート一回につき、いくらとお金を要求する。そこはビジネスである。
タヌキは自分の財産を出しつくしてウサギとデートした。といっても売れない小説家の原稿料であるからたかが知れている。お金がなくなったタヌキがウサギに会いにいくとウサギは、
「お金がないあなたに用はないわ。」
という。タヌキが一人帰ろうとすると、ウサギは一人ごとのように、山のふもとに、おじいさんとおばあさんがたがやしてる畑があるでしょ。話はかわるけど、やみの野菜を買い取って売ってくれるやみの仲買人を私は知っているんだけど、と言って、そのブローカーの電話番号を言った。
タヌキはおじいさんおばあさんの畑のヤサイを夜ぬすんで、仲買人に売ってその金をウサギとのデート料にあてるようになった。
実をいうと、ウサギは前この畑のニンジンをほっているところを畑の所有者の老夫婦に見つけられ捕まえられ、さんざんおしおきされたことをうらみに思っていたのである。じいさんばあさんが、また最近、畑あらしがではじめて、きっとあのウサギだと思っているところへ、ウサギが、ピアスと茶髪とミニスカにコートにカッポンカッポンシューズというおきまりのいでたちであらわれた。
「ややっ。でたな。ぬすっとたけだけしいとはお前のことじゃ。最近また畑をあらすようになったのはお前だろう。こんどはようしゃせんぞ。仏の顔も三度までだ。」
と一度目で十分なおしおきをしておきながら言う。ウサギはつつましそうに正座して、
「それはあんまりです。」
と目に涙をうかべて、伏せ目がちに訴えた。
「実をいうと今、裏山にタヌキが一匹住みついているのですが、この人が畑のものをとっているんです。私も以前、畑のニンジンをとろうとしたことがありますが、それもタヌキさんの命令でしたことなのです。」
と語った。老夫婦は半信半疑だったが、ぬす人がどうして自分から被害者の前にあらわれるでしょう。コロンボじゃあるまいし。今日あたり、またきっとタヌキが畑をあらしにくると思います。しかけをつくっておいて、現行犯でタヌキをつかまえなさるといい、と言った。
じいさんは、しばしだまって考えた後、
「確かにお前がぬすんでいるのなら、自分からわざわざでてくることはおかしいな。でもなぜわざわざ危険をおかしてまで言いにきたのだ。」
と問うと、ウサギは目をりんとひからせて、ジャンヌ・ダルクのように、
「正義のためです。」と一コト言った。
その夜、老夫婦がつくったしかけにタヌキがみごとにかかった。老夫婦が、よくも今まで畑を荒らしておくれだね。今度という今度はようしゃしないから、かくごしておき。というとタヌキは万引きをみつけられた少女のようにただただ、ゴメンなさい、ゴメンなさい、もうしません、とあやまった。が、ゆるしてくれるほど人間の心というものは寛大ではない。
タヌキは柱につなぎとめられた。翌日の夜、たぬき汁をすることとあいなった。炎天がジリジリと身をやく。のどがやけつくようにあつい。
「身はたとえタヌキ汁にはなりぬともとどめおかまし大和魂。」
などと辞世の句もつくった。
じいさんは仕事にでかけて、屋敷にはばあさん一人である。タヌキはちょうどギロチンを刻一刻とまつルイ十六世の気持ちだった。ばあさんはじいさんの服のほころびをなおしていた。がコクリコクリとねむりだした。タヌキは何度か縄をのがれようともがいてみたがむなしい徒労におわった、その時である。うしろでこそこそと音がしたかと思うと、忘れもしないあのウサギの声がする。
「タヌキさん。あなたがつかまっていることを聞き、助けに来ました。」
タヌキは目をうるませて、ああ、ありがたい、というか、うれしい、というか地獄に仏というか、女神とはまさにこのことだ。その心がうれしい。ウサギは、あなたがタヌキ汁にされるのなんて私耐えられません。と言って、いましめを解こうとする。
「でもきいて。ひどいのよ。あのおばあさん。何の罪もない私を前、しばって拷問にかけたの。それと、この家にはどこかに小判がかくされているらしいけど、どこにかくされてるのかよくわからないの。おもてむきは、善良な農家をよそおっているけど、本当は、人身売買のブローカーをしてしこたまもうけてるのよ。」
とまことしやかに言う。タヌキは、それはゆるせん、と義憤に燃え、自由の身になると、天誅だ。神罰をくらえ、といってボクッと老婆を蹴った。
もちろん、ウサギはタヌキの縄を解いたらすぐ、戸口の外へでて節穴から中を窺った。タヌキは老婆を蹴ってから腕をねじあげ、
「やい、小判のありかを言え。」
と言ったが、
「いたた、知らないよ。そんなのないよ。」という。
タヌキは老婆をつきはなし、箪笥の引き出しをあけて、めぼしい金品をとって走り去った。その晩、じいさんが畑から帰ってくると、ばあさんは、じいさんに泣きつき、くやしいよ、じいさん、わたしゃ生きてて、こんなくやしい目にあったことはないよ、といって、今日のいきさつを語る。じいさんもそれをきいて、ばあさんと共にくやしがった。
その翌日である。ウサギがピョコリとかわいらしくやってきた。例のピアスに茶髪に、ミニスカにカッポンカッポンシューズといういでたちで。タヌキが畑をあらしにきたことが、ウサギの予言どおりあたったので、ばあさんは今はウサギをすっかり信用して、前はひどいことをしてすまなかったね、とわびて、丁重にもてなし、タヌキにひどい目にあわされたいきさつを話した。
「くやしくてくやしくてしようがない。」
というばあさんの訴えをだまってきいていたウサギだったが、
「それは、ゆるせない、ゆるしてもならない悪業ですね。かよわい非力な私ですが、天にかわって、タヌキを成敗しましょう。」
と言って、タヌキ必殺の青写真を話した。こってりと念を入れてタヌキをイビリ殺すのである。しばかりに行くと言って、タヌキにしばを刈らせ、かつがせ、それに火をつける。そして、そのヤケドの場所に薬だといってカラシをぬる。そして最後には海へデートといってつれだし、ドロ船でデキ死させてしまう。とまあ、こんな具合いである。モンテ・クリスト伯より念が入ってる。ばあさんは目から涙を流してよろこび、エンザイのイシャ料とタヌキ殺しの前金としてかなりの額の小判をウサギにわたした。ウサギは桃太郎のような気分で、ばあさんの家をでた。
それから先のストーリーは原作者の太宰治さんのとうりである。
場面はラストのタヌキとウサギが浜辺で舟をつくっているところ。
「ちくしょう。知ってるぞ。オレは。お前はこのドロ舟でオレを殺そうってわけだな。トホホ・・・。オレは・・・何だって自分を沈めるドロ舟をつくっているんだろう。なあ。せめてなぜかおしえてくれよ。この前はカチカチ山で薬といってカラシをぬっただろう。タヌキはなータヌキねいり、とか人をだましたりできるんだから頭がいいんだぞ。君はたしかにかわいいよ。たのむからおしえてくれよ。」
と言うとウサギは
「そうよ。私はギゼンはいわないわ。あなたはこのドロ舟で死ぬのよ。考えてみればかわいそうね。でもそれが運命だと思ってがまんしてね。この前のカチカチ山の時のこともゴメンね。でも運命だったのよ。」
タヌキ「そりゃひでーや。でも君は正直でいい子だね。でもそうきくとオレも何だかドロ舟をつくるかいがちょっとだけでてきたよ。トホホ・・・。なけてくるぜ。」
ウサギは絶対しずまない木の不沈船をトントンと大切そうにつくりながらバカタヌキの一人言をききながしている。
「なあ、ウサギ君。君は今は美しいが、君も年をとるってこと知ってるかい。」
「ええ。知ってるわ。でもそんなのずっと先のことよ。」
「そうかい。でも歳月人をまたずってういぜ。ところで一つたのみがあるんだが、オレは死ぬまぎわまで、カチカチとノートパソコンをたたいているんだけれども、それは、今のこのできごとを物語にしているのだよ。オレのたのみというのはほかでもない。オレが死んだ後どうか、オレのつたない文でもひろってくれそうな出版社に投稿してくれないかい。君の今の美しさは文の中でかがやきつづけるのだよ。」
というとウサギは「ええ。いいわよ。」という。
「さあ。できた。できた。」
とウサギがよろこぶ瞳の中に少しのレンビンの情のないのをみるとさすがタヌキもホロリとなきたくなったが、ないてもシャレにならないことは知っているので
「なーいちゃならねー。タヌキはよー。」
などと節をつけながらドロ船のしあげをする。
晴天に波はキラキラと光り絶好のタヌキ殺し日和りである。
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