天使のささやきにのせて

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「いいサマンサ」 「はい」 「実は、わたしにもできないことがあるのです」 「え?」 思っても見ない告白に、彼女の顔を見た。 少し恥ずかしそうにはにかむ笑みは、今までで一番幼く見えた。 こんな表情もするのかと、何年も一緒に過ごしたアデーレを意外に思った。 「わたしもサマンサの前ではいいお姉さんであり、完璧でいたいと思っています。それが、今のわたしを作っています。完璧でいようとすれば、実力も上がりますから」 サマンサはコクリと頷いた。 「わたしのできないことは、調合です」 「まさか。だって、成績が……」 試験の時に貼りだされる紙には、彼女の名前はどの教科も二十位以内に入っていた。 それなのに、なぜ? 「気づきませんか、成績は調合だけではなく、媚薬魔法に召喚魔法も一緒に評価されるでしょ」 黒真珠の瞳がすっと細められる。 妖艶さが増した彼女に捕らえられそうになり、顔を逸らした。 「調合が駄目でも他の項目でカバーできればいいのです」 試験の場合はそうだ。 サマンサも変身魔法が地の底の成績でも留年せずにいられる理由は、それだった。 しかし――今回は、成績ではない。 抜け道はあるのだろうか。 もし、変身できなかったら尖塔の上からたった一人、見送ることになる。そう考えると悲しくなってしまう。 アデーレは、椅子から立ち上がり、サマンサの前に立った。 白いワンピース型のネグリジェが鼻先をかすめる。 しゃがんだアデーレの顔が真直にあった。 黒真珠が月の光を浴びて、煌めく。 「サマンサ。何も人と同じ事をする必要などないと思っています。それを恥ずかしいと思う人もいるでしょう。貴女もそう思いますか?」 静かに問われ、胸の内に問うた。 「恥ずかしくはないと思います」 アデーレは、ゆっくり頷き、言葉を繋いだ。 「変身できないのは、学園内では数少ないかも知れませんが、サマンサだけではありません。わたしと同級生のレイモンドがいい例です」 レイモンドと聞いて、ポンと、澄ましたキツネ顔が浮かんできた。 彼も変身できないのは初耳だった。 嫌みの根源のような彼と同じと思うと胸やけを起こしそうになるのを堪えて、彼女の次の言葉を待った。 「レイモンドは、白い鳥へと変身出来ないことに屈するのが嫌で、自分で調合した強力な風邪薬を飲んで一週間寝込んでいました」 思い出したのかクスクスと笑った。 「同じ学年で彼の調合魔法の右に出る者はいません。自分で調合した薬が超強力だったことは皮肉だと思いますが、それを活かした彼なりの回避方法だったのでしょう」 彼女は、サマンサにニコリと笑いかけた。 「サマンサの得意なことはなんですか?」 氷嚢をおでこにあてているキツネ顔が浮かび、空を舞う何百羽の白い鳥が群れて飛ぶ風景が脳裏をよぎった。 そこへ、ある考えが浮かんだ。 しかし、これは――。 「怒られませんか」 と、問いかけると、 「どちらが怖いかです」 と返ってきた。 彼女が言う『どちら』とは、レールから外れて教師から怒られるのと、変身できなくて、棟の上から一人、卒業生を見送らなくてなならないことだろう。 これまでにも怒られたことは数知れず。 校則なんてサマンサにとって、あってないようなものだった。 心から慕う(アデーレ)の卒業式だから、きちんと送りたいと思っていた。 けれど、当の本人は、サマンサが白い鳥になって送ることを望んでいない。 レイモンドを例に挙げ、回避するのも一つの方法だと言った。 アデーレが言いたい事は、やりたいようにやりなさいということ……? 彼女は、サマンサの気持ちを読んだかのように、頷いた。 この考えは、間違ってはいないはずだ。 なら、怖いものなどなかった。 心を込めて彼女を送りたかった。 幾度、こうやって背中を押してもらっただろう。 落ち込んでいた時だって、まとまらない考えを導いてくれた。 けれど、もう、卒業して、学園を宿舎を出て行ってしまう。 こうやって、一緒に過ごす日は、あとわずか。 そう考えると、無性にわびしさが募り、近くにあったアデーレの手の上に自分の手を添えた。 「寂しいです」 「わたしもです」 アデーレはそう言うのと同時に、サマンサのおでこへ軽くキスをした。 「外の世界で待っています」 「はい」 うなずいたサマンサは、ベッドへと戻るアデーレを見送ったあと、窓の外の月に目を移した。
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