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「ねえ」
息がかかるくらい顔を近づけて涼真は律人の肩に手を回して言った。
気がつくと律人は便座に座らされてその上に涼真が乗りかかっていた。
肩に回された手はそのまま、涼真は不思議な笑みを浮かべる。
「…俺の何を知りたいの?」
「え?…」
薄い笑顔を浮かべたまま涼真は目を細めた。
「ある人物に近づくために君に接触しろと言われた」
「その人は、旭山商事の榊雄一郎、だろ?」
涼真の細い人指し指が律人の顎を上に向ける。
そしてそのまま唇を重ねた。
「…っ!」
驚きに目を見開いて律人は涼真の体を突き飛ばした。
彼はバランスを崩すこともなくすっと床に足をついて体制を立て直す。
「あの人に近づくならこれくらい出来ないと無理だよ。今まではどんな任務をしていたの?」
上司の意図がわからなくなってきた。この青年に近づくのが最初の任務のはずなのに彼は自分と同じ警察官だった。そしておそらく榊雄一郎に張り付いて情報を引き出そうとしている。
学生時代に突然やられる実力テストか?たちが悪い上司だ。
「水木部長が俺たちの相性を試したかっただけだろう。どうせどこかでお互い正体はバレる。一緒に組んで榊さんの監視をしてろって事じゃない?」
「だったら辞令でも何でも…」
「いないはずの警察官に?俺たち諜報員だよ。身内にだって正体バレちゃいけない」
冗談じゃない。同僚同士で試されるような事をされて。今までこんなことはなかった。
頭が混乱している律人に、狭い空間でスマホの通知音が鳴って涼真が画面を確認すると、ふわりと優しい笑顔になって通話を押した。
「俺。…うん」
それだけ言って通話を切る。
「榊さん」
律人の視線に気がついて涼真が答えた。
「随分仲が良さそ……」
そこまで言ってハッとした。
「お前、胸の中は警察官の正義はあるか?」
拳を軽く律人の胸に当てて目の奥を覗き込んだ。
涼真は蕩けそうな笑みを浮かべつつ口角を不敵に上げて「ある」と答えた。
「あの人、立場もあるけど寡黙な人だから難しい」
もう一度画面を見てから涼真はスマホをポケットに入れた。
「どうやって近づいたんだ?」
「中途採用の試験を受けた。返ってきたのはお祈りメールじゃなくて彼からの電話」
堅物のわりにやることやってるじゃないか。
「採用すればよかったのに。変わったやつだな」
「独り占めしたかったんじゃない?秘密主義だし」
「詳しいな」
「ずっといるとその人が何を考えているかなんとなくわかるよ」
そう言い残して涼真は個室を出ていった。
残された律人はぼんやり座ったまま動けない。
柔らかい唇だった。
彼なら榊を完全に籠絡しているのかもしれない。そう思った。
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