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メカノフィリア
私ね、今日でこの工場辞めるんだ。旦那と別れることになっちゃって。なんて言うのかな。性格の不一致ってやつ?ありきたりだけどさ。
それで、ここのパートだけじゃやってけないから他にも仕事探していたの。そうしたら大阪の友達がね、正社員の働き口があるって紹介してくれて。それで引っ越すことにしたの。
実はさ、私、あんたのことすごく気になってだったんだよ。無口で働き者だし。どっしりとして頼りになるし。なによりクールなのがかっこよかった。いつかこの気持ちを打ち明けられたらなって思いながら今日まで来たんだけど、こうしてここを離れることになったし、もう会えないだろうから、勇気を出してみたの。
あ、勘違いしないでね。離婚したからってあんたとどうこうしようってつもりじゃないの。ただ、そうね……。最後の思い出作りって感じかしら。
ほら。今はもう廃れちゃったようだけど、昔あったの知らない?卒業式で、好きだった先輩の、制服の第二ボタンを貰う、ってやつ。
私もさ、ある意味卒業みたいなもんじゃない。新しい生活に向けて、古巣を旅立つ……みたいな。
だから記念に欲しいの。あなたのボタンが。
いいよね?
じゃあ、貰うよ、ボタン。
ありがと。ずっと大切にするから。
食品加工場で働く小田ヤスオは、無口だが実直な働き振りが会社に評価され、アルバイトから工場長にまで上り詰めた男だ。
朝一番に現場に顔を出した小田は、静まりかえった工場内をゆっくりと歩く。本来ならここは24時間稼動しており、騒々しい機械音に包まれているはずなのだが、月に1度行われるメンテナンスが前日にあったため、今朝は全ての機械が停止していた。
液体を均等に混ぜるためのホモジナイザー。揚げ物を作るフライヤー。材料を運ぶステンレスコンベア等々。この日、様々な食品機械の電源を入れていくのは小田の仕事だった。
そうして急速冷凍機の前まで来たときだ。彼はまだ誰もいないのにもかかわらず、工場内の隅々にまで響き渡るほどの大声で怒鳴った。
「誰やー!冷凍機の主電源ボタンを盗んだ奴は!?」
【メカノフィリア:Mechanophilia】
自動車やオートバイなどの機械や工業製品への性的嗜好のこと。
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