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その都市は、治安が悪い事で有名だ。
春ごとに、変な人間が子供をつけ回すし、殺傷沙汰も多い。
「それは、住んでいたことがあるので、僕も知っているんです」
速瀬伸が、そう言った。
「ですが、どこまで物騒なのか、分からないので、その都市出身の方に、話を聞いて見たいと、この二人が……」
あらまあというのが、岩切夫人の第一声だった。
「あんなところに、何の用があるの? こちら側の方が、何でも揃っているはずだけど?」
「はあ、そうなんですが……」
曖昧に答えたのは、今年高校二年に上がった、古谷志門だ。
人の好さそうな少年は、困ったように顔を伏せつつも、その理由を言う気はない様だ。
つまり、今回の話を岩切家の静には、知られたくないのだろう。
まあ、あの都市に行くと言うのなら、まだ幼い少女を連れていては危険だ。
子供の頃から小柄で大人しく見られる岩切夫人は、その事を良く知っていた。
「まあ、あの辺りに済む連中は、大体がこの都市や他の地で炙れた人ばかりだから。静を連れて行かないと決めたのは、正解かもしれないわね」
「そんなにひどいんですか?」
金田健一が、顔を顰めて返す。
この土地が平和過ぎて、麻痺してしまっている分、その差は信じられないだろう。
自分だって、驚いた。
「こちらの習いごとに行っていた時、毎夜、住宅街を自警団が回ってくれているのを見て、驚いたわ」
多くが、引退したご老体だったが、昔は腕を鳴らした男の人だった。
「それは、話に聞いてます。その自警団の人に、小母さんは助けてもらったんですよね」
実の父親の暴行から。
健一の言葉に、岩切夫人は苦笑して頷いた。
「丁度、都市境の道だったから、見とがめて下さったのよ」
「道?」
志門と伸が、目を見開くのを見て、健一が苦い顔で聞いた話をする。
「習いごとの帰りに、住宅街の道中で、小学生の娘の胸倉攫んで、往復ビンタしている所を、偶々こっちの都市の自警団が目撃して、110番通報したんです」
警察が来た時にはすでに、その二人はその場にいなかったが、足止めしていた自警団に導かれすぐにその姿を見つけた。
警官が呼びかけると、二人は振り返った。
愛想笑いしている男の後ろに隠れた少女の顔は血まみれで、鼻からはまだ血が流れていた。
「警官の問いに、男は帰りが遅いから殴ったと答えたんですけど、元はと言えば、親が決めた習いごとからの帰りでしょ? 鼻血を出させるほどの悪い事じゃない。だから、署に連行し、母親とそのご両親を呼んだ」
「父方は、祖父母共に、故人だったから」
書類送検ですみ、大事には至らなかったが、母親と娘は祖父母と共に暮らし始め、すぐに離婚が成立した。
「あの時は、自警団の方が偶々気づいてくれたから、私は助かったけど。本当なら、こんな大事にされなかったはずよ」
何故なら……。
「殴られている時に、その傍を自家用車が横切って行ったのよ。誰が乗っていたのかは知らないけど、止まりもせずにこちらを見たのかも分からないくらいにスムーズに、通り過ぎて行った。無関心なのか、関わりたくなかったのか。自分に都合の悪い事には、自分から関わらない、そんな都市柄なんでしょうね」
未だに、父親の元に残った兄弟は、恨み言を言いに来るそうだ。
お前が悪いのに、家族が崩壊したと。
「でも、祖父母も母も、そんな事はないと言ってくれたわ。私も、どうしてあんなに殴られなくちゃいけなかったのか、分からなかった。だって、習いごとに行く前に、ちゃんと遅くなる理由を置手紙にしたためて、出かけたはずなの」
その日、クラスメートたちと共に、自分の家で委員会の活動の、清掃分担の表を作っていた。
早めに作って習いごとに行くつもりが、まだ出かけていなかった兄弟たちに邪魔され、クラスメートも泣かされ、散々な状態で表をようやく書き上げて、五時ぎりぎりに習いごとに向かったのだ。
「ようやく習いごとを終えて、家路についたその道に、あの人待ち伏せしてたのよね」
実の父親は、近づいてきた途端に、頬を張った。
言い訳も何も聞かず、只殴り続ける父親に、娘は絶望した。
「母が警察に呼ばれた時、兄弟二人も一緒だったんだけど、その時のあの二人の顔を見て、どうしてこうなったのか、分かったわ」
置手紙を、捨てられたのだ。
自分の顔を見て、馬鹿にしたように笑う兄弟に、こいつらは敵だと、そう感じた。
そして、そう感じたのは、祖父母も同じだったようだ。
娘と孫娘だけ引き取り、男兄弟二人は、父親の元に残して離婚させた。
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