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 その半年後、両親が離婚した。 「きっかけは些細な言い合いだけど、今更な理由だったわね。私という壁がなくなったから、母が的になってたのよ。半年しか持たないなんて、どれだけ弱いのかって思ったものだわ」  そして、その五年後。  父親が、脳梗塞で倒れた。 「当時、六十手前で、定年前だったんだけど、急に進行して、入院した。左手足が自由に効かなくなったらしいんだけど……」  兄はすでに結婚し、他所の地にいた。  自分もその家を離れ、生活している。  弟が一人、父親の介護をする事になったのだ。 「その頃、私も、ようやく授かった息子をお腹に身籠っていて、それでなくても、父のリハビリのためにも、あまり気にかけるわけにはいかないと思って、普通にしていたら……」  男の介護を、女の身が出来るはずがなく、弟も任せろと言っていたから、大丈夫だろうと考えていたら、五か月後兄弟から、それぞれ電話があった。  内容はどちらも同じで、声音も同じだった。 「そろそろ戻って来いって。子供も出来ないのに居座っていたら、そちらにも迷惑だろうって。妊娠していると言っても、信じてくれないのよ」  冷静に、現実の話をしても、的外れな揚げ足を取る。 「手足が少し動かないだけで、寝たきりな訳じゃないのに、子供二人がかりで介護なんかしたら、本当に寝たきりになると言ったら、兄が声を引き攣らせて言うの。充分寝たきりだろって」  耳を疑った。  県内でも名高い高校に受かり、大企業に就職したはずの兄が、常識からかけ離れた主張を、平然と言い切った。  もし、十年自分が実家に戻って父を介護するとしても、介護の後の将来を、兄弟は保証してくれないだろうと、試しに自分の事を優先にして言いかけたが、それは途中で遮られた。 「十年しか、面倒を見ない気かって。例えの話でしょうと言っても、その一点ばかりを強調して。これ、話し合い無理だって、そう思ったわ」  うん、それは、無理だ。  つい頷く少年たちに、松本夫人は弟の事も話す。 「限界だから、戻って来て手伝えと。限界ってどのくらいって訊いたら、死にたいくらいって。……言いそうになったわ、言っちゃいけない事を」  ああ……と、少年たちは同情した。  こういう手合いは、自分が何を言っても許されるが、相手が言う事には敏感に反応して、攻撃する。  松本夫人は、それを知っていた。  ここまでですっかり、疲れていた夫人だが、力の弱った男一人くらいなら、何とかなるかと考え直し、弟に言った。 「私が世話をするなら、こちらに引き取るか、私が家に戻って弟に家を出てもらうかになるけどって言ったら、何でって狼狽えた」  こちらとしては当然の希望だった。  まだ寝た切りとは言えないほどの病状の男一人なら、目を掛けながら家の事をし、生活するだけで済む。  そんな軽い病状の父の介護で、死にたいと言う程に根を上げるような甘い男は、邪魔でしかなかったのだ。 「二人なら、ご飯の準備だってそこまで苦じゃないし、住む人間が多い分、こちらの労力が増えるでしょ? だから、もし、私に戻れと言うなら、母親の元にでも行ってくれと言ったのよ」  弟は元々、好き嫌いが激しい、甘やかされて育った男だ。  住む家がないわけじゃないにもかかわらず、姉からすると当然の条件に、難色を示した。  そして、言い出したのだ。 「両親の離婚も、父の病気も私のせいだから、介護するのはお前だって。子供産んでる暇なんか、ないだろうって。いい加減、わがままはやめて戻って来いって。父親もね、私に介護されたがっているって。赤の他人に介護されているのが、我慢できないって」 「へ?」  健一がつい、間抜けな声を上げる。  松本夫人も深く頷いた。 「おかしいでしょう? 弟は、それに答えて私に話を持って来てるの。赤の他人って、弟は言われてるのに、怒らなかったのかって思わず訊いたら、揚げ足捕るなって」  親不孝と罵られても仕方ないと、もう、悪役を受け入れようと思った瞬間だった。  姉からすると、家を出た身で当然の事を話したつもりだったが、全て我儘と一蹴されたのだ、何やっても何言ってもそうとしかとられないのに、戻るのも彼らを相手にするのも、馬鹿らしいと感じたのだ。 「……」 「もう、ほとほと呆れちゃって。仕方ないから、その会話全部録音しておいて、旦那とお舅様方にも、相談しました」  松本氏が、どんな解決をしたのかは知らないが、それから父が亡くなるまで、兄弟とも父母とも関わる事はなかった。
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