変身のお犬様

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「真一を呼べ!」  安久乃(あくの)は厳しく言い放つ。  部屋は大きく広い。高尚な雰囲気の調度品に彩られた品位のある執務室である。  背が低く白髪の執事が、部屋を慌てて走り出たかと思うと、数分後には真一と呼ばれた男が姿を現す。 「下がって良い。」  執事は高圧的に命令されてすぐに部屋を後にする。  「デレデレキュンキュンデレキュンキュン」  真一は、真ー文字に結んだ眉を微動だにしない。若干強面の渋い形相の真一は、繰り返し繰り返し呪文のように、謎の言葉を発した。  渋く、そして深く、低い声。  「デレデレキュンキュンデレキュンキュン」  段々と安久乃は興奮状態から覚め。先ほどまでの厳しい雰囲気がかき消される。しおらしい表情。  謎のキーワードは、安久乃を落ち着かせる為の言葉、らしい。  「あなたのお姿が見えないと。私はおかしくなってしまうのです。」  安久乃は、ひざまついて、真一の腰のあたりに顔をうずめ、すりすりとほおずりをする。  よしよしと、動物をあやすかのように、真一は安久乃の頭を撫でくる。  よく懐いた犬であるかのように、安久乃はキュンキュンと喉を鳴らす。 「ジーアスラ先生!」  真一は声を上げると、執務室の奥の扉が開いて、そこから白衣をまとった一人の医師が現れる。髪は金髪で白人の外国人。背は高く体格は頑健な印象だった。  呪文によってすっかりと昏睡状態になった安久乃を抱き上げると、ジーアスラ先生と呼ばれた医師の部屋に入る。  大きな檻の中に安久乃を預けて、金網を施錠すると、安久乃はみるみるうちに小さくしぼんで行き、1匹のチワワが服の中から現れる。  驚いたことに、安久乃の正体は犬。チワワである。  「この秘密を、三条家の秘密として守り抜いて、早15年。お嬢様も随分大人になられた。」  真一は、楽しそうに檻の中を走り回るチワワを、金網越しに指先で弄る。  「本物のお嬢様は3才の頃に他界。私の研究技術で犬を人間に変身させ、お嬢様を代理。お嬢様は1週間に一度、こうやって放牧してあげなければ、ストレスで肉体を安定できなくなる。つまり死んでしまう。」  ジーアスラ先生は腰に手をやりながら、流暢な日本語で、ニタニタとした表情で説明する。  「お嬢様には多額の保険金と、この屋敷や邸宅、会社やジェット機に至るまで、三条コンツエルンの継承者として、生きてもらわねばならない。」  「海外には、他にも沢山このような事例はあります。影武者や代理人が、死んだり不治の病になった本人に代わって、表舞台に出る事。私の犬を人化させる医術が役に立った例は今回が初めてですがな。」  「亡き、お父様とお母様の遺言でね。彼女は私が養育する事になっている。」  「彼女・・ではなく、お犬様ですな。」  「そういうな。貴様の医術によって、週のうち6日間は、全くの人間として生きている。」  真一は金網の中からチワワをやさしく取り上げて、首輪をセットし、ロープをつなぐ。  この後は、外にチワワの散歩、である。 ***  散歩から戻って来ると、ジーアスラ先生は、チワワに注射をする。  見ている目の前で、みるみるうちに、うら若き女性の姿へと、むくむくと変化する。豊満なお尻や胸、細くてきわどい腰つきなどが見ている目の前で露わになる。 「見ないでよぉ」  胸や股間のあたりを手で覆い隠しながら、照れ臭そうな表情をしつつ、用意されていた高校の制服に袖を通す。  「いつも人間の姿に戻る時、見られているのが恥ずかしいよぉ」  服を着終わり、彼女はすっかり普通の人間の姿になった。  「知ってるよ。ジーアスラ先生と、その派遣元の会社に毎年100億円はらってるって。わたしが人間になる為に。私・・別に犬のままで生涯終えても良かったけど。」  「それはこちらの事情だ。三条コンツエルンの年間の売上は100兆円。日本の国家予算に匹敵する。100億円など、はした金にすぎない。」  「あら。私をはした金で養っているとでも言うの?」  「そうは言ってない。」  「私はいつまでこんな風に、人間と犬を行ったり来たり、続ければ良いの?」  「後・・3年。3年後に三条コンツエルンは、西宮コンツエルンに吸収される事になっている。」  「どうして?」  「お父様とお母様が決めた事だ。お亡くなりになる前に、そのような契約を調印済だ。移行作業は20年かけてキッチリ進めている。しかし法律上、亡くなられたお嬢様が存命でなければ、成り立たない。」  「そう。後3年ね。私頑張るわ。丁度20歳になるわね。」 ***  3年後、三条コンツエルンは無事に西宮コンツエルンに吸収された。  このお屋敷も邸宅も全て西宮コンツエルンの管轄になるから、真一も退去を余儀なくされた。  引っ越しの手配を済ませ、真一の手には犬のキャリーバックが、しっかりと握りしめられていた。中にはチワワの姿。チワワは不安そうに門構えの向こうにある、かつての住み慣れた邸宅を眺め、尻尾を振る。  真一は後生大事にチワワと共に、新しい自宅のマンションに向かった。  「安久乃・・もう・・二度と会話できないけど。余生を共に暮らそう。」  キャリーバックを開け放つと、元気に咆えながら一匹のチワワは部屋を走りまわった。直ぐに新しい部屋に慣れる。  座って食事を食べる真一の懐によじ登ったり、膝の上で甘えたりしながら居眠りをする。  そこに、宅配業者から一個の箱が届く。  箱の中身は薬剤と注射器だった。  ジーアスラ先生からのメッセージカードも入っていた。  『犬っころは、この注射をしないと、もう寿命で死んでしまいます。定期的に投与願う。定期便でアンプルを送ります。費用は月額たったの1万円。はした金でしょう。 記:ジーアスラ』  「口の悪さは相変わらずだな・・」  やれやれという表情で、真一は英語で書かれた書面に目を通す。  ジーアスラは、20年に渡る実証実験の成果を社に持ち帰り、それが世間に発表されると、会社の株は猛烈に上がって行き、その会社は時代の寵児ともてはやされる事になる。もちろん被験者が安久乃であった事は伏せられている。今後、様々な領域の新薬の開発に応用されて行く事だろう。  書面を読み終えると、真一は迷わずチワワに注射を施す。  チワワは、みるみる間に目の前で若い女性の姿に変身して行った。  安久乃である。  「もう二度と会話できないかと思ってた・・・」  泣きながら、真一は裸の安久乃を抱きしめた。  「もーいつも人の姿に戻る時見られてたら恥ずかしいって言ってるのにー。そして今回は服すら準備してないじゃ・・・(むぎゅ)」  抱きしめる真一と、少し苦しそうにする安久乃の姿。  「ちょっと苦しいからぁー」  二人の新しい生活が始まろうとしていた。 (おわり)
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