想いからの卒業

3/4
前へ
/4ページ
次へ
各駅停車の電車の中は人影も(まば)らだった。 空席も難無く見つけることが出来た。 僕と彼女は並んで座る。 電車はゆっくりと走り出し、振動が規則正しいリズムを刻み始める。 車窓から見える空は、すっかり夜の色へと染め上げられていた。 僕は左隣に座る彼女の横顔をチラリと見遣る。 その横顔は、どこか思い詰めたかのような雰囲気を湛えていた。 「で、話の続きって何?」と、僕は彼女を促す。 彼女は僕の顔をチラリと見る。 その瞳は、困り果てたような色を湛えていた。 そして、彼女は思いきったかのように、その口を開いた。 「実はね… 明日なんだけど、彼がうちに来ることになっててさ…」 彼女のその言葉に、僕は息が止まるような思いに襲われる。 そんな僕の思いを余所に、彼女は言葉を続ける。 「そろそろお互いの親に挨拶したほうがいいよねって話をしててさ。 うちの親も彼のことを私から聞いてて、結構乗り気でさ…」 押し黙った僕に構うこと無く彼女は言葉を続ける。 「でも…。 何だか急に怖くなってきて。 いざ、そんな感じになっちゃうと、彼のいろんな態度が気になっちゃうの。 こんな状態で話を進めて大丈夫なのかって不安になっちゃうの」 そこで、彼女の言葉は途切れた。 僕は、思わずこう口にする。 「でさ、どうしようと思ってるの?」 その声は、きっと震え気味だったんだと思う。 でも、彼女はおそらく気が付かなかったんだろう。 そんな余裕は無かっただろうから。 思い詰めたような表情をその顔に浮かべながら、彼女はこう口にした。 「うん…。 明日は止めようって彼に言おうと思ってるの。 もうちょっと後でもいいよね、って」 僕は、思わず宙を見上げた。 様々な思いが胸を過ぎる。 色んな記憶が脳裏へと去来する。 パチンコ野郎のこととか、キムチ鍋の彼氏のこととか。 或いは1年前のこととか。 湧き上がる思いや記憶で揺らぐ心の中に、つい先程の会話が浮かび上がってくる。 キムチ鍋の話が、出雲大社の話が。 そして、その時に抱いた気持ちもまた蘇ってくる。 そう。 僕の中で、もう結論は出ていたんだ。 迷う余地なんて最早無かったんだ。 僕は大きく、されど静かに息を吸い込む。 そして意を決し、こう口にする。 「いや、それ止めないほうがいいと思うよ」と。 ハッとした表情となった彼女は僕を見つめる。 僕は、彼女に問い掛ける。 「多分なんだけど。 その話って、けっこう前からしてるでしょ?」と。 彼女は小さく頷き、そして、こう答える。 「うん…。 先々週に旅行に行った時、その話をした」と。 僕は思わず小さく笑い声を上げる。 相変わらずだな、と思ったから。 訝しげな表情を浮かべる彼女に対し、僕はこう口にする。 「先々週から話をしてるのに、前日になって急に止めるって言い出したら、彼氏さんメッチャ凹むと思うよ」 彼女は小さく溜息を吐き、そしてこう答える。 「うん…。 やっぱ、そうだよね。 傷付いちゃうよね。」 僕はわざとらしく大きく溜息を吐き、笑いを(たた)えた声で彼女に語り掛ける。 「いやいや、ちゃんと分かってるじゃん。 そんなことしたら彼氏が傷付いちゃうって」 「うん…。 でもさ、私ってビビりだし優柔不断だし、色んなことを不安に思っちゃうし」 か細い声でそう答える彼女に、僕はこう話し掛ける。 「まぁ、そうだよね。 でもさ、こういう時って誰だって不安にはなると思うよ。 それは誰だった当たり前だと思う。 でもさ、今の彼氏さんって凄くいい人だと思うよ。 お金に細かいのって、きっと将来の生活を考えてのことだと思うし。 それに前の彼氏と違って、ちゃんと相手のことを大切にしてくれるんでしょ? そんな彼氏さん、大切にしなきゃダメだと思うよ」 微かに苦笑した彼女は、僕が言うと説得力あるよね、と言葉を返す。 僕はわざとらしく何度も大きく頷き、そうでしょ、俺が言うと説得力あるでしょ?などと大袈裟な口調にて言葉を返す。 彼女が浮かべていた苦笑は、何時しか晴れやかな微笑みへと変っていた。 電車は次第に減速しつつあった。 そろそろ次の駅に到着するんだろう。 彼女の家の最寄り駅に。 間も無く駅に到着するとの車内アナウンスが流れる。 そのアナウンスに促されたかのようにして彼女は立ち上がる。 低い振動とともに電車は停まり、音を立ててドアが開く。 ドアの方へと歩みを進めながら、彼女はこう口にする。 「話、聞いてくれてありがとう。 明日はちゃんと彼を家に呼ぶね」 僕は座席に腰掛けたままで、微笑みつつ彼女へと小さく手を振る。 そして、(ささや)くようにこう告げた。 「頑張って!」
/4ページ

最初のコメントを投稿しよう!

4人が本棚に入れています
本棚に追加