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11.蛇足 03(レイモンド視点)
そしてオディールが先導する侍女の後ろについて客間を出て行くのを見送る。扉が閉まった途端に、誰ともなく肩の力を抜いて息を吐くのが分かる。しかし、陛下はまだ同じ部屋にいるのだ。余所者の俺はまだ緊張の糸を切るわけにはいかない。
「大役、御苦労であったな」
「……滅相もございません」
ヴァルト宰相閣下が俺の肩を叩かれて労いの言葉を掛けられたが、あれで良かったのか最後まで分からなかった。
「しかし、まさか、あぁも堂々と偽者を連れてくるとは思いませんでしたな」
「我々を舐めているのでは?」
「あ奴らにそんな頭は無いだろうよ。ただ本物より美しい娘が実子だから連れてきたに過ぎないのだ」
大臣達は次々とシーニュ国王夫妻の身の程を弁えない言動を非難する。陛下は上座の椅子に、少々行儀が悪いと言われるくらい深く腰掛けて、それらに耳を傾けている。
「宰相閣下。何故、陛下はオディールを花嫁として御迎えになったのですか?あの女は本物のオデット王女ではないのですよ」
本来であればヴァルト閣下に声を掛けることさえ烏滸がましい行為だとは分かっていたが、このままあの女の思い通りになるのは癪であった。
「レイモンドよ。我らが太陽の花嫁はオデット王女であって、オディールと言う田舎者の小娘ではない」
「え、えぇ。それは勿論でございます」
「あの娘はオデット王女殿下として入城している。ヴェールで顔を隠したままでな」
閣下の言う通りだ。けれども、まだ閣下の意図が分からず、不安げな顔をする俺を大臣らは小馬鹿にするとはまた少し違う、未熟な者を生温かい目で見るような表情をしている気がする。
「この王城で本物と入れ替えてしまえば良いのだ。この場いる者と世話係になった者以外は、この国でオディール・ダックと言う小娘の顔は知らないのだからな」
「死んでも後腐れの無い人間をシーニュの方から用意してくれたのだ。有効利用してやらねばな」
「違いない!」
恐ろしいことをガハハと嗤って言える度胸に、俺は唖然とするしかない。陛下の花嫁は婚約式が決まるまで極一部にしか知らされなかった。それは花嫁となる女性が暗殺される危険性があったからだ。だからギリギリまで公表されていなかったのに、危機管理能力が致命的に抜け落ちているオディールでは、何日生き延びることができるのだろうか。
「良かったな、レイモンド。これでそなたが愛するシルヴィア・ダックを苦しめる者を始末することが出来る」
「――ッ!?」
陛下に心の内を言い当てられ、言葉を失った。確かに俺はオディールが死ねば、シルヴィア嬢の立場を脅かす者はいなくなると思ったのだ。ようやく両親やキャメロンがシルヴィア嬢を見てくれるのではないかとすら考えたのだ。
「まぁ、しかし残念ながら、シルヴィア嬢はシュライク王国を出奔し、今は行方不明だがな」
「は!?」
「三ヶ月前に舞踏会と言う衆人環視の中でキャメロン第一王子に婚約破棄されている。代わりにオディールが王子と婚約したのだが、オディールと王子の仕事を肩代わりさせる為にシュライク王国に留め置かれていたそうだ」
仕事をしない自分達の代わりにシルヴィア嬢をこき使おうとしていたのか。何て見下げ果てた連中だろう。しかし、衆人環視の中で行われたことなら、俺の実家であるスワロウ大公家が知らせてきてもおかしくはないのに、通常のものと変わらない連絡しか受けていない。つまり、父達もまたこの事実を良しとしたのだ。
シルヴィア嬢がキャメロンに粗雑に扱われるなら、自分が彼女を大事にするからどうにか白紙になるように取り計らってくれと両親には頼み続けていたというのに。彼らもまた婚約破棄などされて行き場を無くした少女を奴隷のようにこき使おうとしていたのか。
「そんな中で、オデットとオディールの入れ替わりがあったのだが、シルヴィア・ダックは母国に心底嫌気が差して、妹である本物のオデットと共に国を出たのだと報告を受けている」
「そ、そうなのですか?」
陛下は一体、どこまで御存じなのだろうか。きっと全ての国に間諜がいるのだろうが、それにしても自分で見てきたように詳細な姿は、神が持つ千里眼のようで恐ろしい。
「心配には及ばない。この世に悲観している訳ではなく、オデットと物見遊山をしながら、のんびりと帝国を目指しているらしい」
物見遊山をしながら帝国を目指すなんて、昔の彼女しか知らない俺には衝撃でしかなかった。何にでも真面目で、出来るだけ手間を掛けない合理的なきらいのあるシルヴィアが、気ままに旅をしているなんて。オデット王女殿下には御会いしたことなどないけれど、良い影響を与えてくれる素晴らしい人なのではないだろうか。
「オデットもまた非常に楽しんでいて、これまで事業で貯めて来た金をシルヴィアに惜しみなく使っているとか」
本物のオデット王女は事業も起こしているのか。アードラー帝国でも働く女性が増えてきているが、シーニュのように女性をアクセサリーのように思っているような風潮の国では大変なことだろう。
「守銭奴のオデットが他人に金を掛けてやるなんて、シルヴィア・ダックは余程庇護欲をかき立てる女性なのだろうな」
シルヴィア嬢と迎えに行くと約束した時、自分を世間知らずだと言って恥ずかしそうにしていた姿は、普段の凛とした姿からは想像できないほど可愛らしくて胸が高鳴った。
「オデットの秘書の男も、そなたと女の好みが同じようだから大変だな」
「秘書の男ですか!?その男も帯同しているのですか!!」
「まぁ、女の二人旅など危ないからなぁ……」
そんな風に呑気に仰る陛下だったが、自分の花嫁になる女性の近くに男がいて平気なのだろうか。
「陛下はどうしてそのようにオデット王女殿下のことを御存じなのですか?」
普通、王族などの結婚は肖像画などを贈り合って、血統や信仰する宗教の兼ね合いを考えた上で国益に適う相手を親や臣下が見つけ、婚姻式の際に初めて会うということも珍しくもない話だ。そのせいか相手に対して興味を抱けないなどと馬鹿げたことを言う輩もいるというのに、陛下はオデット王女のことを本当に良く御存じでいらっしゃる。
「オデットは帝国に輸出する衣服を積んだシーニュの商団の一員として入国した際に、直接見初めたのだ」
陛下の頬にほんの少しだけ赤みが差したのは気のせいか。え?これはラブロマンス的な話なのか。いや、これを俺が聞いてしまって良いのだろうか。宰相閣下や大臣達を窺えば、揃いも揃ってニヤニヤと、これまた生温かい目をしている。まさに『うちの子にも、ちょっと遅い初恋が来たな』とでも言わんばかりの顔だった。
「その時に御知り合いになったんですね」
「あぁ。しかしオデットは俺が皇帝であることは知らないのだ」
「えぇッ!?」
「俺はその時は関税品を取り扱う部署の役人として紛れ込んでいたんだ」
皇帝陛下が陰でそんなことをしているなんて、驚愕の一言に尽きる。もしかしたら他の部署にも紛れ込んで、監査のようなことをしているのだろうか。いや、こんな美丈夫がいたら一発でバレてしまうだろうし……。
「勝気で思ったことをハッキリ言う娘という第一印象だった。しかし、何も考えていないという訳ではなく、考えた上でポンポンと言葉が出てくるのだ。初めて入国したと言うのに美味い酒を出す店も帝国民の俺よりも知っているし、飲みっぷりも良い」
え?これは女性を褒める言葉では無いのではないか?いや、もしシルヴィア嬢が飲みっぷりが良いとしたら、やはりいつもとのギャップがあって可愛いなと思うな。もしかして女性の好みは違うかもしれないが、俺と陛下は女性の好きな仕草のツボというのは似ているかもしれない。
「妃を選定する問題になった時、オデットがシーニュの王族だということが判明してな。渡りに船だと思ったらシーニュは第一王女を勧めてくるわ、オデットが家族から孤立していたことが分かるわ、挙げ句の果てには誘拐事件なんて過去が出てくるわ……」
頭が痛いとばかりに陛下は大きく息を吐いた。しかし、家族から孤立していたからこそ、王族がお忍びで数ヶ月にも渡って姿を晦ましても気づかれることなく、御二人が出会うことが出来たのだから皮肉な話である。もしかしたらオディールが付けていたヴェールも、オデット王女殿下が替え玉を利用する為に普段から着用していたのかもしれないな。
「まぁまぁ、陛下。これで大方の問題は片付きましたから、あとはオデット王女殿下を御迎えするだけです」
最後の仕上げだと謂わんばかりに宰相閣下は仰って、大臣らもウンウンと頷いている。帝国の上層部は陰謀渦巻く魔窟だと思っていただけに、随分と和気藹々としたアットホームな雰囲気に拍子抜けてしまうのは気のせいか。
「え?しかし、王女殿下は陛下をただの役人だと思っていたから親しくしたのであって、陛下が皇帝だと分かったからと言って、受けて入れてくださるのでしょうか……?」
正直、陛下の御話に出てくる王女殿下の性格は、とても男勝りでいらっしゃって積極的な事業展開もされていて自立していらっしゃる女性だ。
「先程仰ったように、シルヴィア嬢と楽しく過ごされているのであれば、今のまま自由に生きることを望まれるのではないでしょうか……」
「い、いや、しかし!!オデットはシーニュの第二王女だぞ!?」
「シーニュの第二王女として入城したのはオディールでございます。これ幸いとばかりに、オディールに面倒事を押し付けて悠々自適に暮らされるのではないでしょうか?」
俺はオデット王女殿下の人となりは全く分からない。けれども、陛下が蒼褪めて反論してこないことこそ、答えなのではないだろうか。
「俺は、オデットのことなら何でも分かったつもりでいたが、何一つ分かってはいなかった!」
まるで悲劇のヒーローと言わんばかりだが、全く相手の気持ちを確認せずに先走っているという典型的にダメなタイプではないだろうか。ちょっと呆れてしまうのだけれど、向かうところ敵無しの完全無欠の皇帝陛下より親しみやすい。外ではダメなのだが、きっと大臣達もまた知っているからこそ、温かい目で見守っているのだろう。
「分かりました。それでは私が陛下の代わりにオデット王女を迎えに行って参ります」
「そなたが……?」
「はい。いきなり帝国の使者が現れても警戒されるでしょうから、シルヴィア嬢を迎えに行くという名目で、王女殿下の御心を確かめて来ましょう」
「レイモンドよ!!」
こんなことでも無ければ余所者の俺が、この少し情けない皇帝陛下と知り合うこともなかっただろう。
そうして皇帝陛下の御命令を大義名分にして、堂々とシルヴィア嬢を迎えに行くことになったわけだが、まさかこのまま陛下付きの政務官となって雑用を一手に引き受ける羽目になるとは思わなかったのだった。
end
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