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03.未来の約束
「女一人で生きていく方法を教えて欲しいって?」
しばらくは一人で考えたのだが全く妙案が浮かぶことはなく、苦肉の策として私は学友であるレイモンド・スワロウ様に尋ねた。国王陛下の弟君である大公殿下の次男でいらっしゃるレイモンド様は、私よりも一つ年上で落ち着きがあって、博識な貴公子だった。
第一王子の婚約者である私が男性と会うことは通常憚られることであるのだが、私とレイモンド様は共にオウル先生に師事している。王族の教育係であり高名な教育者であるオウル先生だが、年齢的に普通の家庭教師のように各家庭を訪問することは難しく、であれば生徒の方が先生の下へ集まることができるようにと国王陛下が王城の一角を学問所としてオウル先生に提供したのだった。私とレイモンド様は生徒として先生の下に通っているのだ。
しかし先生は今、第一王子であるキャメロン王子の授業をする時間だったので、手隙となった生徒達は各々で課題を見つけ、図書館であったり行政府の方で必要な資料を集めたりと行動をしている。中には文官の手伝いをする者もいる。実地研修でもあり、小金も稼げるとあって一石二鳥だと笑う者のたくましさは、今後は私も見習わねばなるまいと思う。
そんな訳で私は図書館で資料集めをしていたのだが、通りかかったレイモンド様に尋ねたのだった。
「未来の王子妃である貴女が、どうしてそのようなことを?」
図書館には他にも利用者がいる為、辺りを気にしながらも僅かに声を潜めて問い質された。
「一般論を聞きたいだけ、と言っても信じてはくれませんよね?」
そんなことを言ってしまえば裏があるようにしか聞こえないだろうが、私もまた窮地に立たされる前に身の振り方を考える必要がある。形振りなど構っていられないのだ。
「妹君のことかな?」
「えぇ。御察しの通りにございます」
オディールはまだデビュタント前で、夜会には参加できないが昼の茶会には参加している。私は王城で王子妃教育やオウル先生の授業を受けているので中々時間が取れず、重要なものだけ選んで参加しているが、オディールと母は頻繁に参加しているようだった。体が弱いと言って勉強を疎かにしているくせに、外出ばかりしているのだから呆れてしまう。
「いらぬ心配だよ、と言いたいところだが、貴女の妹君や御両親もどうかと思うけど、同じようにキャメロンも問題があるからね」
「レイモンド様」
諫めるように名前を呼ぶと、レイモンド様は肩を竦めて見せる。
「貴女がキャメロンの御守りの為に婚約したなんて、良識のある貴族であれば皆知っているよ。歴代の国王の名前も覚えられず、外国語一つ身に付けられない愚かな王子の代わりに公務をさせられるシルヴィア・ダック侯爵令嬢」
つらつらと並べられた言葉達は、どれも紛れもない真実なのだが、こうして面と向かって私に言う人間はいなかった。第一王子キャメロン殿下は非常に残念な頭の持ち主であった。いや、きちんと学問に向き合えば良かったのかもしれないが、その地位に胡坐をかいて勉強を疎かにしてきたので全く身に付いていない。
今もオウル先生が個人授業を行っているけれど、内容は貴族が十歳程度で習得するレベルのもの。表向きは王族と下々の者が机を並べるなど不敬だなどと嘯いているが、本当はあまりにも低過ぎる学力を公にしない為の措置であったのだ。
そんなキャメロン王子の代わりに公務をする為に、オウル先生の門下生の中で成績や家格を鑑みて選ばれたのが私だった。私よりも優秀な女性はいるけれど、他の貴族達が納得できる家格を持っていたのは私だけだった。彼女達には女官として私を補佐することが内定している。
レイモンド様のように優秀な男性がキャメロン王子を補佐する案もあったが、王位継承権がある男子はキャメロン王子の地位を脅かすと国王陛下と王妃殿下が嫌厭されたのだ。キャメロン王子もまた劣等感が刺激されるのか、優秀な従兄弟達には近づかないようにしているらしい。
「フフッ。面と向かって言われると、本当に最悪な話ですわね」
自然と笑いが出てしまったが、私としては私を尊重してくれるのであれば、王子妃、王妃という職業に従事しているのだと思い、真面目に仕事をしていくことができたと思うのだ。
「ですが、もしも婚約解消となれば、私にはこの国にいることさえどうなることか……」
自己の欲求の為に契約を破棄するような話なのだ。私の居場所など誰も考えてはくれないに違いない。そうであるのなら、私は私の居場所を自分の手で掴み取るしかない。そんな私を憐れに思ったのか、レイモンド様は意を決したような顔つきで口を開いたのだった。
「三ヶ月後、俺はアードラー帝国に行きます」
「アードラー帝国……」
アードラー帝国――この大陸で、いくつもの属国を束ねる宗主国として君臨するアードラー帝国。我が国も属国の一つだ。本国自体が大陸で最も大きな領土を持ち、農業も酪農も盛んな上に、経済も活発という理想的な国づくりを行っている。帝国民になれば飢えることも無く幸せに暮らせると憧れる属国の民も少なくないのだった。
現皇帝は私よりも五歳年上の若い青年だが、歴代で最も優れた君主だと大陸中に名が轟いていた。また、優秀な人材を積極的に登用しており、属国の人間であっても、皇帝に認められれば、帝国の市民権を得ることも出来るらしい。そんな破格の待遇を夢見て帝国を目指す者も少なくない。
「大公家は兄が継ぎますし、私は王家から距離を置くべきだと思いまして……」
「レイモンド様ならば、きっと皇帝陛下の御目に止まるでしょう。応援しておりますわ!」
レイモンド様ならば、きっと活躍されることだろう。この国で王家の顔色を見ながら、頭を抑えつけられながら生きるよりずっと良いものではないだろうか。
「もし、貴女の不安が確実なものになったなら、アードラーを目指すのはいかがでしょうか?」
「私も……?」
「シルヴィア様の頭脳は、このまま埋もれさせてしまうには惜しいものです。アードラーでは女性も試験によって登用が決まるのです。貴女ならばきっと輝かしい未来が待っていることでしょう」
王家に嫁ぎ、王子妃となり、王妃になって国を率いていく歯車になることしか考えたことがなかった。婚約が解消されれば冥界まっしぐらだと思っていたのに、ほんの少し光明が見えたような気がしてきた。
「私も経験はありませんが、自分の力で稼いだお金で賄う食事や酒は、安物であっても極上だとか」
「それは是非とも食してみたいです」
「私もです。もちろん苦労はあるでしょうが、しかし国民は皆そうして身を立て暮らしているのです。王族に連なる者だからといって、その上澄みを掠め取って生きることを私はしたくない」
何て高潔な人だろうか。レイモンド様のような方が王位を継いだなら、きっと国民が幸せになるような国になるに違いない。私もレイモンド様のように自分に誇れる人間になりたい、そう思えたのだった。
「でも、私、国外に出たこともありませんし、そもそも自分だけで街に下りたことも……」
貴族女性は基本的に一人で街に下りることは無い。欲しいものがあれば商人を呼んで、商品を並べさせたりするし、観劇に行くにしても付添人や侍女がついて回るだろう。家族から孤立しているとはいえ、私もまた貴族女性として同様の生活を送っている。つまり私は帝国で自立した生活を送るには、あまりに世間を知らな過ぎる。
「それでは私が迎えに行きましょう」
「レイモンド様が?」
「えぇ。シルヴィア様に万が一のことがありましたら、私が助けに参ります」
何て親切な方だろうか。キャメロン王子に捨てられてしまうかもしれないほど魅力に乏しい私に対し、こんなにも親身になってくださった方はいなかった。
「本当は悩みの根本的な部分を解決しなければいけないのだとは分かってはいますが……不甲斐無くて申し訳ないです」
本来、レイモンド様は王家の親戚であるとはいえ無関係の方。国家を揺るがすことになりかねないトラブルに彼を巻き込もうとしてしまった己の短慮さに溜息が出そうになる。けれどもやっぱり嬉しい。
「いいえ。そんな風に仰っていただけて光栄です。それでは、もしもの時はよろしくお願いいたします」
「分かりました。私も貴女が安心していらしていただけるように、地盤を整えておきます」
そう言ってレイモンド様は握手を求めるように手を差し出して来た。異性の方と触れ合うなんて初めてのことだったけれど、少し浮かれていた私は躊躇うことなく彼の手を握った。私の手の一回りも大きい、厚みのある固い手だった。頼もしい協力者を得たことに嬉しくて思わず笑みが零れた。
この時、レイモンド様の御耳が赤くなっていたなんて、私は気づくことは無かった。
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