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04.婚約破棄
レイモンド様が帝国へ旅立ってから二年後、ついにその日はやって来た。
「シルヴィア・ダック!!私は真実の愛を見つけた!よって、貴様との婚約は破棄する!!」
私に遅れること二年、社交界にデビューしたオディールは、ある意味八面六臂の活躍であった。その稀有な美しさでもって、紳士達の心を攫って行ったのだ。婚約者の有無など関係なく、すべからく彼女の虜であった。もちろん未婚者のみならず、既婚者の心さえも。
そうしてついにオディールはキャメロン王子の心を射止め、私との婚約破棄に至ったのだった。
けれども場所が悪過ぎる。王家主催の舞踏会で、開会宣言の直後に凶行に及ぶとは思わなかった。馬鹿げた話ではあるが、叶うことなら別室が望ましかったし、せめて中盤以降に酒が入って気が大きくなった故の言葉だったという風にすれば良かったのに。素面で契約を破る愚か者だと他国の人間に印象付けてしまったことだろう。
私の能力を買っていたはずの国王夫妻も、息子には甘いのか『うんうん』と頷いている。もしかしたらオウル先生の他の女学生がいるから、公務もどうにかなると思っているのだろうか。彼女達とて婚姻をすれば王城を去ると言うのに。それともいつまでも独身のまま王城に縛り付けておく気なのか。とんでもない話である。
「そなたのように地味で暗い女が国母になるなど、我が国の威信に関わることだ。分かってくれるな」
「……」
美しければ公務が捗るということもあるまい。いや、なるほど、容姿を餌に男達を働かせるとでも言うのだろうか。そんな自分の下卑た発想に失笑しながらも顔には出さぬように口を引き結ぶ。けれども私に何らかの非があるわけではなさそうで安心した。ありもしない男性との関係や、何らかの罪をでっち上げられ、取り沙汰されていた場合、帝国に行くことが出来なくなってしまう。
「ね。お姉様。ずっと前に私が言ったようになったでしょう?皆、私を好きになるって」
自らの予言が当たったことが面白くて仕方がないのか、オディールはにこやかに微笑んで見せる。皆というのはキャメロン王子や国王夫妻に留まらず、多くの人々が、オディールが王子妃になることを喜んでいるようだった。
しかし、私を王族にする為に教育を尽くしたオウル先生や私を補佐するはずだった女学生達は慌てふためいていることだろう。結局、オディールはごく普通の令嬢としての教養しか身に付けなかった。王子も王子妃も貴族以下の能力を持たない状態では国政を引っ張っていくことは難しい。加えて男性貴族の能力も当てに出来ないとなれば、王家主導の政治は今後難しくなっていくだろう。
これは、ダック侯爵家は反王家の勢力に利用されたのかもしれない。愚かな君主には従えないと、議会の力を強める為に私を追い出し、傀儡のオディールを立てるのか。
元から予想していたことで、情の欠片も無いので涙など出るはずもないけれど、清々しく去っていくのも自尊心を傷つけられたと言いがかりをつけられかねないなと、私は俯きながら扇で顔を隠して言った。ほんの少し涙を浮かべるだけで失意を装うことが出来るだろう。
「元々、私には分不相応な御縁でした。美しき第一王子殿下とオディールの幸せを心より願っております」
「みっともなく縋り付くと思ったが、己の身の程を弁えていたようだな」
どんなに優れた容姿を持っていても、醜悪な内面を隠すには皮膚という物質は薄過ぎる。私を嘲笑うキャメロン王子の姿を見て、誰が恋に落ちると言うのだろうか。オディールもこんな男のどこが良かったのだろうか。血筋か財産なのか。
習った通りのカーテシーをして私は出口を探した。そのまま私だけが退場すれば、この茶番は終了するだろうと思ったのだが、思わぬ事態が起こったのだった。
「オデット王女殿下……」
私の顔を見ているのは、シーニュ王国の外交団の面々だった。オデット王女というのは確かシーニュ王国の第二王女殿下の名前ではないだろうか。
「オデット殿下は国内にいるはずでは?」
「いや、私は殿下の御尊顔を拝見したことはなくて……」
外交団のメンバーとなれば、国王から直々に親書を受け取って諸外国を訪問する機会があるだろうに、第二王女の顔を見たことがないというのは変な話ではないだろうか。
しかし、こんなところに長い時間いたくないというのに、解放してくれそうにない雰囲気に正直困ってしまった。
「私はダック侯爵家のシルヴィアと申します。生憎ですが、私は国外に出たことはありませんし、先程までこの国の王子殿下の婚約者でありましたので、身元もしっかりしております」
何かの勘違いだと伝えたいのに、全く解放されやしない。騒ぎを聞きつけた宰相などがやって来て、私とシーニュ王国外交団が国王陛下の御前へ連れていかれてしまった。
「こちらのシルヴィア・ダック侯爵令嬢は、あまりに我が国の王女殿下と瓜二つなのです」
「しかし、この場にいる多くの者達は、この娘を幼き頃より知っている。ましてシーニュ王国の王女殿下と瓜二つとは何かの間違いではないだろうか」
国王陛下の物言いは私を庇うようにも聞こえるが、そこに嘲りが含まれていることに気づかない人間はいない。シーニュ王国といえばアードラー帝国を宗主国と仰ぐ属国の一つで、国民の多くが美しい容姿を持っていることで有名であった。そんな国の王族となれば比類なき美しさを持っていることだろう。だから美しくないことを理由に婚約を破棄された私が、第二王女と似ているなんて有り得ないと言いたいのだ。最後の最後まで馬鹿にされるなんて最悪で気分が悪過ぎる。
それでもシーニュ王国の外交団の意志は固く、私の件を母国に伝えることを国王陛下に承諾させたのだった。さっさと家を出てアードラー帝国に向かうはずだったのに、とんでもなく時間を無駄にしてしまうことになる。
+++++
居心地が悪い家とはいえ、シーニュからの返事待ちで私は出て行くことさえ出来ない。ならば家に籠って勉強をさせて欲しいのに、『気晴らしに出かけましょうよ』とオディールが私を茶会に連れ出すのだ。私の気分が晴れないのは全て自分達のせいだというのに、分かっているのかいないのか。
そうして今日も今日とて、オディールに引きずられる形で支度をさせられ、馬車に押し込められたのだった。
「お姉様、この件が片付いたら、アードラーに行くって本当ですの?」
「えぇ、本当よ。こちらにいてもお父様達に御迷惑を掛けるでしょうし、居た堪れなくて……」
どこから漏れたのかなんて大した話じゃない。私がアードラー帝国について調べていることは隠していたわけではないし、自分の能力に多少自信がある者なら帝国で立身出世の夢を見ることは珍しいことではない。そして未来が宙ぶらりんになってしまった私が、帝国に憧れることも自明の理。オディールの周囲の誰かが察して、彼女の耳に入れたのだろう。
「そんなこと仰らないで!私達は家族じゃありませんか!お姉様のことを迷惑だなんて、誰もそんなこと思っていないわ!」
『お嬢様……』と感激しているのは私ではなく、オディールの侍女。家にいることが少ない私に専属の侍女はおらず、こうして突然の外出に付き合ってくれる者はいない。キャメロン王子との婚約中は、王家が寄越した付添人がついていたが破棄と共にそれも無くなった。しかし、オディールは私の代わりに王子妃になるというのに、こんな風に遊び歩いていて良いのだろうか。
「もし宜しければ、お姉様も私と一緒に王城に上がりましょうよ」
「え?」
「お姉様が近くにいてくださったら、私は心強いですわ」
「……」
「私達姉妹で、キャメロン様を支えていきましょうね」
つまりそれは私を女官にして、オディールの代わりに仕事をさせるということか。だから王子妃になる教育も受けず、これまでと変わらぬまま遊び惚けているのだ。
私は自分が逃げ時を失ってしまったことを痛感した。外交問題になるからと躊躇った己を呪いたい。シーニュ王国からの返事を待たず、この国を捨てて出て行けば良かった。
これでは帝国にいるレイモンド様にも連絡が行かないように手を回されているに違いない。私からも学友を介してレイモンド様に連絡を入れていたし、国の世継ぎが婚約者を代えるなどという椿事なら大公家から直接レイモンド様に連絡を入れていると思っていたのだが、私が帝国へ行く算段の全てを潰そうとしているのかもしれなかった。
己の詰めの甘さに泣きたくなったけれど、オディールの前でだけは絶対に涙を零してなるものかと私は顔に力を入れ、必死に涙を堪えたのだった。
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