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05.取り替え子
私の運命もここで万事休すかと思われたが、その後、この話はとんでもない結末を迎えたのだった。
シーニュ王国外交団が送った手紙は、返信ではなくシーニュ王国の国王夫妻と第二王女殿下自らの訪問という形で返って来た。当事者の一人であるダック侯爵家もまた王城に呼び出され、応接の間に通された。普通は王族達と同じ席に着くということはないのだが、私達四人もまた椅子に座るように言いつけられる。
シーニュ王国の国王夫妻――アルフォンス国王陛下とフロランス王妃殿下――は金髪の明るい青い瞳の美しい顔立ちに、体の線の細い方々だった。そして件の王女は顔をヴェールで隠しているものの、背中に流れる髪は私と同じ灰色。外交団が私と間違えたのは同じ髪色だったからかもしれないなと思いながら、国王陛下の話に耳を傾けたのだった。
そうして伝えられた事実に、ダック侯爵家の四人は開いた口が塞がらないくらいに驚きを隠せなかった。
「オディールが、シーニュ王国の王女殿下……?」
私ではなく妹であるオディールこそ、シーニュ王国に関わりがあったのだった。シーニュ国王夫妻とオディールの色味は同じだとは思ってはいたが、よくよく見ればフロランス王妃殿下とオディールの目の形が似ているかもしれない。
「私達の娘は取り替えられていたのです。産婆が私達の子を孤児院に捨て、そこから拾ってきた子供を私達は育てさせられていたのです」
説明によれば本物の第二王女殿下を取り上げた産婆は、生まれた赤ん坊があまりに可愛らしくて誘拐してしまったと言われていたそうなのだ。すぐに見つかり、産婆はそのまま切り捨てられたのだったらしい。それが今回の件で詳しく調べてみると、産婆は孤児院に子供を預けていったらしいことが分かった。
「預けられていた子はこちらの国に引き取られているところまで分かりましたが、まさかこんなに立派な娘になって……」
オディールを見た王妃殿下は、感極まったように嗚咽交じりに泣き出した。
私とオディールを取り上げた産婆と侯爵家の主治医は夫婦だったが、確か二人共もう亡くなっている。主治医が新しい別の家の者に代わったから、よく覚えている。あの時の母は本当に生死を彷徨ったらしいから、家中大騒ぎだったはずだ。その混乱の最中に赤子を連れ出すには、やはり産婆達の協力無しには出来ないだろう。
それを考えるとシーニュ王国の一件も、産婆が赤子の容姿に心ときめいてという証言を鵜呑みにするのは少々馬鹿げている。産婆一人の力で赤子を連れて城を出るなんて有り得ない。しかしアルフォンス国王陛下達は信じているようだった。
「わ、私達は何が何やら……確かにオディールが産まれる際、妻が生死を彷徨った為にゴタゴタしておりましたが、まさか娘が入り替えられたなどということは……」
愛する娘が本当は他人の子供のように言われては、流石に黙っていられなかった父は相手が他国の貴人であるとはいえ反論した。
「この娘の顔を見ても、そんなことが言えるのかしらね。オデット!」
王妃殿下はヒステリックな声でオデット王女殿下の名を叫び、王女殿下は顔の前にヴェールを持ち上げると、そこには私とよく似た顔があった。灰色の髪に深い青色の瞳。何より顔立ちが私達はよく似ていたのだ。これは私だけでなく、両親もまた呆然とするしかない。
どんなに両親がオディールを可愛がっていたとしても、私の容姿は父方の特徴を多く受け継いでいる為、絶対に母の不貞や取り替え子などと言う風に言われたことはなかった。むしろオディールの方が血筋を疑われるくらいなのだが、両親が珠玉の如く可愛がるものだからトンビが鷹を産んだくらいにしか思われていなかったのだ。
それがここにきて、全く血の繋がりの無い他人だと言われても、どう反応して良いか分からないと言うのが本音なのだろう。ずっと迷惑を掛けられてきた私でさえ、オディールが実の妹でないことに対して困惑しているのだから。
「ずっとおかしいと思っていたのだ。シーニュ王家の誰にも似ていないこの娘を。他人の子供だと言われて、ようやく合点がいったものだよ」
アルフォンス国王陛下は無表情でオデット王女殿下を見る。その瞳はあまりに冷たくて、親子の情などきっと無かったのだろうとさえ思えてならなかった。王女殿下もまた表情を変えないままで、私は酷く居た堪れない気持ちになる。
彼女もまた私と同じように、家族の中で居場所も無く生きて来たのだ。美しい家族の中で、平凡な容姿というだけで虐げられていたのかもしれない。
「さぁ、オディール。私達とシーニュ王国へ帰ろう。そなたの兄や姉が待っているよ」
美しい国王夫妻は、オデット王女殿下には欠片たりとも見せなかった慈愛溢れる表情をオディールに向けた。見ただけで心ときめくように美しい姿は確かに美しいのだとは思うけれど、私にはとても寒々しいものにしか見えなかった。
どれほど温かく優しい表情をしていても、赤子の頃から知っているオデット王女殿下を他人に対する以上に冷たくあしらっておいて、自分達によく似た美しい容姿の少女を初対面にも関わらず臆面も無く娘と呼ぶ厚顔無恥さが、これまで見たものの中で最も醜悪とさえ思えてならない。
「そんな!!オディールは私の妻となり、いずれこのシュライク王国の王妃となるのです!!それを突然現れて、本当の親だ、何だと騒ぎ立てて……」
「キャメロン様!!」
ずっと黙っていた、オディールの現婚約者であるキャメロン王子が立ち上がって大声で言った。真実の愛を見つけたと言って私を捨てたのだから、黙って見ている訳が無い。中身はどうあれ、頼りがいのありそうに見える姿に、オディールも嬉しそうに微笑んでいる。
「シュライク王国の王妃の位がどれほどのものだというのだ!!我がシーニュ王国の第二王女は、アードラー帝国皇帝ジークフリート・アードラー陛下の婚約者なのだぞ!!」
「なッ!?皇帝陛下の!?」
「皇帝陛下の花嫁は決まっていないはずでは?」
「暗殺を恐れ、公言はされていないが、一年前に我が娘に内定していたのだ」
若き皇帝ジークフリート・アードラー陛下は至上の位にあるにも関わらず、未だ独身であった。その理由は前皇帝である皇帝の父君が正妃は『皇帝の隣に相応しい娘を皇后とする。それは国内外問わない』と決めていたらしい。目ぼしい国内の貴族や周辺国の王侯貴族達の中で釣り合いの取れた者達を審査して、その末にシーニュ王国の王女に内定したとアルフォンス国王陛下が説明した。残念ながら我がシュライク王国には王女がいないので不参加になっている。
「皇帝陛下の花嫁に、私が……?」
「あぁ。そなたのように美しい娘であれば、皇帝陛下もきっとお喜びになるだろう」
アードラー皇帝は強いカリスマ性と統率力を取り沙汰されることが多いが、それと同時に美丈夫であることも有名な話である。艶やかな黒髪にシトロンのように輝く瞳、剣術の腕は帝国一と言われるくらいで逞しい体躯をしているのだとか。
「そんな!オディール、私達は真実の愛を誓い合ったではないか!!」
皇帝陛下と小国の王子とでは、その差は歴然としている。それでも真実の愛が二人の間に育まれているとしたら、オディールは迷わずキャメロン王子の手を取るはずなのだ。しかし、この時、オディールはキャメロン王子を一瞥しただけで、アルフォンス国王陛下に向き直って尋ねたのだった。
「もし、皇帝陛下に嫁がなければ、どうなってしまうのでしょうか?」
「……それは、契約を履行しなかったことを我が国は責められることになるだろう。最悪の場合は国権さえ危うくなるかもしれない」
「まぁ!」
戦争を匂わされ、驚いて口許に手を当てたオディールだったが、婚約の解消・破棄とは本来そういうものだということさえ気づいてもいなかったのだろう。両家の約束事を一方的に反故にするなど有り得ない。私とキャメロン王子の場合は、交代する相手が実妹であるオディールだったから、有耶無耶に終わっただけだ。普通は家自体を貶められたと抗議されてしかるべき話である。
「花嫁を奪ったのがシュライク王国と分かれば、その矛先はこちらに向くかもしれない……」
「そんな!我が国は何も知らなかったのだ!」
追い打ちをかけるように、アルフォンス国王陛下は我が国の国王陛下に言い募る。まるで脅しているように聞こえるのは気のせいだろうか。
「キャメロン様。いいえ、キャメロン王子殿下。私、皇帝陛下の妃になりますわ」
「オディール!!」
「私が帝国に行けば、皇帝陛下の御怒りを買うことはないのですから……」
「そなたが犠牲になる必要など無いのだ!!そなたはオディール・ダック侯爵令嬢だろう!?」
キャメロン王子はオディールの足許に跪き、縋るようにその手を取った。王子の絞り出すように悲痛な叫びに対し、オディールは悲しみを隠すようにしながら、気丈に言葉を続ける。
「私の為にシュライク王国とシーニュ王国の民が苦しむことは耐えられないのです……」
「オディール……」
青い瞳から零れ落ちた涙は、まるで宝石のように美しい。圧倒的な美しさに、誰もが息を呑んだことだろう。デビュタントをしたとはいえ未だ少女の域を出ないオディールが、民を思い、自分の身を投げ打とうとしているのだ。憐れに思いながらも、高潔な志は胸を打つに違いない。
――オディールの本性を知らなければ、の話だが。
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