57人が本棚に入れています
本棚に追加
07.甘い誘惑
美しい両親に、その両親に似た兄。姉もいるが側室の産んだ娘で、けれども美しき第一王女としてオデットよりも両親に可愛がられていたのだとか。両親には冷たくあしらわれ、兄や姉からも格下のように蔑まれていたという。
「幸い、私についてくれた使用人達が新興貴族だったから実利主義の人間が多くて、シーニュの変な価値観に囚われなかったのよね」
容姿の優れた人間を利用して金を稼ぐには限りがあるけれど、身分の高い人間を教育して国全体を潤わせる方法を考えようとする堅実だが確実な方法をオデットの周囲は実践していたようだ。多分、王族を傀儡にして甘い汁を啜る保守派に対抗してのことだろうが、旗頭であったオデットがいなくなれば計画は頓挫してしまうことだろう。
「その辺りも含めて、きっとあの皇帝が美味しいところを掻っ攫っていくでしょうよ」
つまり保守派と改革派の確執を利用して、シーニュの国権を手に入れることも視野に入れていると言うことか。そもそも、オデットとの婚約さえも王位継承権を直系ではなくアードラーから擁立させる布石なのではないか。属国の地位向上が目的ではなく、体の良い融和政策なのだ。
オデットはアードラー側の思惑を分かっていながら平然としているのは、皇帝陛下であればシーニュをより良く導くと信頼していたからなのだろうか。
「何を期待してるか知らないけど、別にラブロマンスなんて無いわよ。完全に政略よ、政略」
私の考えを読んだオデットはバッサリと私の妄想を切り捨てた。
「あーあ。伏魔殿から逃げることが出来たと思ったら、実家も地獄で嫌んなっちゃう」
「本当に。何もかも捨てて、逃げてしまいたい」
シーニュもシュライクも頭がおかしくなりそうなくらい権力闘争が起きていると言うのに、当事者達は気づくことなくお花畑で遊んでいるのだから、イイ御身分だなぁと思ってしまうのも当然だった。だが、半ば冗談のつもりで言った一言に、オデットは食いついた。
「あら!良い考えね。そうしましょうよ。色々見てから、最終的に帝国に行って市民権を獲得しましょう」
「えぇッ!?」
帝国の市民権は、そう簡単に手に入れることはできないのに、オデットは事も無げに言ってみせた。やはり皇帝陛下に連なる人物に伝手でもあるのだろうか。
「シルヴィア、外国語はどれくらい話せる?」
「……近隣の五ヶ国語だけど、自信をもって話せるのは三ヶ国語だけよ?」
「十分よ!」
コンコンコン
旅行に行こうとオデットが一人で盛り上がりかけた時、扉をノックする音が聞こえた。一応はまだ王女の身分であるオデットの代わりに、私が応対する為に扉を開けると、そこには鳶色の髪の眼鏡をかけた青年が立っていた。
「エルネスト!遅いわよ」
私が誰何する前に、オデットが相手を叱咤する声が飛んできた。
「シルヴィア。その人、私の連れだから入れてあげて」
「わ、分かったわ。どうぞ、お入りください」
扉を閉める際に部屋の外を見たけれど、警備の者も誰もいないようだった。突然のこととはいえ、警備の者は一体何をやっているんだろうか。呆れを隠すことも出来ない。
「一体何やってるのよ」
「遅いなんて心外です。王城のメイドに殿下の居場所を尋ねたところ、案内も無くこちらに行くように言われました。こちらの部屋に来てみれば警備の者もおりませんし、日当たりも悪い部屋なのでおかしいと思い、もう一度確認に行ったのですよ」
「笑っちゃうでしょ」
「えぇ、本当に面白いです」
二人は面白そうに笑い合ってるけれど、当事国の国民である私は全く笑えない。私がかいた恥でもないのに、恥ずかし過ぎた。
「シルヴィア。この男は私の秘書をしてるエルネスト。まぁ、そこそこ使える男よ」
「お初にお目に掛かります。エルネスト・ミランと申します」
自己紹介をしたエルネスト様は私の手を取って、その甲に唇を寄せた。挨拶とは分かっていたけれど、王子の婚約者であった私に対して、性を匂わせるような行為をする者はいなかったので少々驚いてしまった。
「ハ、ダック侯爵家のシルヴィアにございます。よろしくお願いいたします」
「私の姉上なんですって」
しかし、挨拶は終わったのにミラン様の手は離れない。異性に触れることなんてなかったせいで、不必要に心臓が縮み上がるような心地であった。オデットが先程の応接の間での出来事を説明している間も、手が離れることは無かった。
「あの、ミラン様……?」
「どうぞ、エルネストとお呼びください」
「エルネスト様?」
名前で呼んでも良いのかと確認するように見上げると、眼鏡の奥にある涼やかな目元が、優しく細められたような気がした。ますます心臓が跳ねあがってしまう。
「いくらシルヴィアが美人だからって、主人の前で女を口説くなんて感心しないわね」
「私の好みが奥ゆかしく優美な女性だと御存じでしょう?シルヴィア様のように美人だと更に好みのど真ん中なんですよ」
オデットとエルネスト様は他愛ない世間話のように話しているけれど、その中に聞き捨てならない言葉があった。
「び、美人だなんて……私のような者には分不相応な言葉です」
社交辞令だと分かっているのに、嬉しいという感情と、けれども身の程を弁えねばならないと理性がせめぎ合う。穴があったら入りたいほどに恥ずかしい。
「シルヴィア。オディールと呼ばれていた娘と比較したら貴女は美しくないかもしれないけど、世間一般からいえば貴女は美しいの」
「え?」
「シュライク王国もシーニュの馬鹿げた価値基準に惑わされてしまってるようだけど、シルヴィアだって貴女に似合う流行のドレスや化粧で着飾れば、ダンスに誘う男共で行列が出来るわよ」
行列なんて大袈裟な話だと笑い飛ばそうとすると、オデットにジッと睨まれてしまって思わず口を噤む。大袈裟だとは思うけど、確かに私は流行色よりも地味な色合いに保守的な型のドレスを選ぶようにしていたように思う。だって『美しくないくせに調子に乗るな』なんて言われ続けたら、悲しくて選べなくなってしまったのだ。最初から無難なものを選ぼうとするのは、私なりの自衛手段だったのかもしれない。
「もちろん、そのままの貴女も私は好ましく思いますよ」
「エルネスト!!」
恥ずかしさの返事も出来ない私の代わりに、オデットがエルネスト様を叱りつけたのだった。それでも恥ずかしいことに変わりは無く、どうにか話を逸らそうと『秘書』という言葉の真意を尋ねた。
「秘書って、従者の方とは違うわよね?」
「これでも私、シーニュを中心に事業を展開しているの。エルネストには表向きは経営者として矢面に立ってもらってるのよ。王女の身分じゃ何かと煩わしくって」
「オデット様の美的感覚が優れていらっしゃるので、オデット様が作らせた斬新な配色のドレスが社交界を席捲しておりますよ。また、今はシーニュ特有の繊細な刺繍が施された生地をアードラー帝国や近隣諸国に売り込んでいる途中でございます」
美形な国民が多いだけあって、シーニュのファッションは流行の最先端を行っている。その社交界でオデットのドレスが脚光を浴びているなんて素晴らしい話だ。それに女性が事業を起こすなんて、何て先鋭的な考えを持っているのだろうか。女性が好む装束を探すなら、女性の方が得意だろうと思う。オデットの事業が当たるのは当然と言えば当然な話だった。
「やっぱりシルヴィアも私と行きましょうよ。他の世界を見て、どれほど自分が狭い世界で生きていたのか、自分を見つめ直すべきよ」
「でも……」
「もし残るのなら、オディールの代わりに、あの馬鹿王子と結婚しなきゃいけなくなるのよ?」
オディールの代わりに結婚するのはオデットではないの?
「あら。だって、私はシュライクに残るつもりも無いのよ。悠々自適に旅に出る予定なの」
「馬車の用意が出来ましたので、私はお迎えに上がった次第にございます」
つまり、オデットはこのまま少しも留まることもなく出て行くつもりなのだ。一流の経営者であるなら旅行に出る資金も困るということもない。そうなると、やはりキャメロン王子と結婚するのは私になってしまうだろう。婚約破棄されて恥をかかされたのに、オディールがいなくなったから仕方なく嫁がされると言うのか。
「そんな……今更、第一王子と結婚なんて嫌よ」
私を一体何だと思っているのだろう。オディールに振られたから、捨てた私を拾ってやると言うとでも言うのか。馬鹿にするにもほどがある。
最初のコメントを投稿しよう!