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08.新しい夢
その時、扉が乱暴に開かれた。マナーも何もない賊でも入ったのかと一瞬思ってしまうほど、粗暴なものだった。
「オディールの偽者はここか!?」
オデット曰く、馬鹿王子ことキャメロン王子が現れたのだった。ズカズカと近寄ってくる様子も王族としての気品も感じられず、臣下の一人として失望を隠しきれない。
「まぁ。御挨拶遅れて申し訳ありません。オデットと申します」
先程までのハキハキとした物言いはどこへ行ったのかと思うくらい、おっとりとカーテシーをするオデット。
「フン!貴様は所詮はオディールの代わりだ。俺の愛を得られるなどと思い上がった真似をするなよ」
私が婚約破棄された時よりも、ずっと辛辣な物言いのような気がする。オディールに捨てられたことに本当は気づいていて、オデットに八つ当たりでもしているのだろうか。
「殿下とオディール様の真実の愛は国民にも伝わっていると聞き及んでおります。仲睦まじい姿を多くの方々が御覧になっていることでしょうね」
「醜い嫉妬か?」
「いいえ。ですが、多くの者達が御二人を知っているのなら、私と結婚などしてしまったら、オディール様の所在を問い質されることになるでしょう」
もしオデットと結婚したならば、オディールとは似ても似つかぬ花嫁の姿を誰もが疑問に思うだろう。問い質されたら、キャメロン王子は何と答えるのだろうか。自分を捨てて、アードラー帝国の皇帝を選んだなどと言えるわけがない。真実の愛を嘯いたくせに捨てるなんて間抜けな男は嘲笑の対象だ。
「ですから、婚約自体を無かったことにいたしませんか?」
「何だと?」
「私には絶世の美姫で知られるオディール様の代わりなど務まりませんわ。どうぞ、日を置いて殿下に似合いの姫をお探しになってはいかがでしょうか?」
病気療養ということで領地に下がらせたことにし、日を置くことで少しはオディールの印象は薄れるだろう。あとは頃合いを見て、快癒の見込みが無いとして婚約は解消となったと公表すれば良いだけである。一見してキャメロン王子にとって有利に見える話に聞こえる。王子もまた彼女の話を神妙な面持ちで聞いているのが、その証拠だ。
「時間はありますから、ゆっくりとお考えくださいませ」
にっこりと麗しい微笑みでオデットはキャメロン王子を見送ったのだった。あんなにもうるさくて傍若無人な王子を手玉に取って、静かに部屋から出したオデットの手際の良さに私は舌を巻いたのだった。だけど気になった点が一つある。
「日を置いたら、きっと婚約者になれるような御令嬢はいなくなってしまうのではなくって?」
私は比類なき美女であるオディールと比較された挙げ句に捨てられたのである。それは王子だけに留まらず、王侯貴族から平民にまで至る。キャメロン王子の新たな婚約者になるということは、オディールと比較され続けるということに他ならない。冷静に考えれば誰がそんな立場に在りたいと思うだろうか。他人だからこそ私の立場を嗤って見ていられたのだ。
「あの王子に本当に魅力があるというなら、神が素晴らしい女性を与えてくれることでしょう」
そう言ってオデットは清らかな笑みを作って見せるけれど、内の中では舌を出しているのだろうなと思い至る。正直に言って、私としても『ざまぁみろ』と思っているので、怒るなんて野暮な真似をするつもりはない。
「さぁ。馬鹿が戻って来る前に出発しましょう」
オデットに引っ張り上げられ、私も立ち上がる。今度は断ることはしなかった。だって、オディールとの話がダメになって、他の貴族から断られて、最後に私の下にやって来るキャメロン王子の姿が生々しく想像できたのだ。絶対に王子との結婚は嫌だ。だからこそ私には逃げる道しか残っていないことに気づかされてしまった。
「私、旅支度なんてしていないから、何も持っていないわよ?」
生家にあるもので持って出て行きたいようなものもなかった。ドレスもアクセサリーも別に私の好みで選んでいないし、本も内容は私の頭の中にあるのだから未練はない。十八年も暮らして来た屋敷に戻ることも無く、家を捨てて出て行くなんて、自分という人間は何て憐れな女なのだろうなと自嘲した。
「心配しないで。無利子で立て替えてあげるから」
「姉妹であってもお金には厳しいのね」
「あら。お気に召さないかしら?」
「いいえ。金銭感覚がしっかりしているようで、姉として安心したわ」
軽口を言って笑い合う。こんな風に気安い会話なんてしたことなど無いのに、滑らかに次から次へと言葉が浮かんでくる。お喋りがこんなにも楽しいだなんて初めて知った。
「何なら、エルネストにおねだりして貢がせても良いんじゃない?この人、結構稼いでるわよ?」
「おねだりッ!?」
「シルヴィア様を美しく飾り立てる為に、私の財産が使われるのなら本望にございます」
「正気で仰っているの!?」
「えぇ、もちろん」
嘘か誠か分からないけれど、からかわれていることだけは分かる。お喋りのレベルが低い私には上手い返し方も見つけられず、何だか悔しく思ってしまう。
「フフッ。本当にシルヴィアって可愛らしくて大好きよ」
ツンと私の頬を指で突いて笑うオデットの笑顔は生き生きとして眩しい。
「さぁ。追手が来ると面倒ですから、お早くお願いいたします」
エルネスト様に急かされて私達は部屋を出る。通路には一応、警備の者達がいるけれど、私達に目もくれない。私達が侯爵家に帰るだけだろうと思っているのかもしれないが、オデットは王女の装束を纏ったままなのに。彼らにとって大事なのは、シュライクを捨てていくオディールなのだろうか。
「聞いていた話以上に、かの御令嬢の影響力は凄まじいですね」
私と同じように思っていたのか、エルネスト様が感心したような呆れたような声で言った。
「あとのことは女神のように素晴らしいオディール様にお任せして、私達姉妹は退場させてもらうのよ」
何て無責任で人任せなんだろうか。だけど、多分きっとそれで良いのだ。誰も私やオデットに期待をしていない。この舞台の主役はオディールなのだ。彼女がいれば観客達も満足するだろう。それで全て大団円。
そうして国を、親を捨てることを改めて決意した私は、ふとレイモンド様に言われた言葉を思い出した。
「ねぇ、オデット。ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「なぁに?」
「自分の稼いだお金で飲食するのって格別に美味しいって聞いたのだけど、本当かしら?」
私の口からそんな言葉が飛び出すとは思っていなかったオデットは、少々面食らったような顔をしてから笑って言った。
「そりゃあ金持ちからむしり取った金で飲んだ酒は、どんな美酒より美味しいわよ」
「やだ!オデットったら、何だかまるで悪役みたいな話しぶりね」
わざと露悪的に言って見せたのだと思ったのだけれど、エルネスト様に『オデット様は本気で仰っていますよ』と耳打ちにされて思わず震え上がってしまう。それでもオデットはグイグイと私の手を引いて、外に向かっていく。
「さぁ!とりあえず今夜はシルヴィアが愚か者達と決別したことを祝して、美味しい食事処で乾杯よ!」
何て明け透けな物言いだろうか。だけどオデットのことは憎めなくて、どうしてか私は彼女を許してしまいたくなる。私とよく似ているのに、明るく朗らかで、かなりきつい毒を吐く、愛らしい私の妹であり私の友人。今は何もできない私だけど、ここから連れ出してくれたオデットに恩返しをしたい。
「私、いつかオデットに美味しい食事を御馳走できるように頑張るわね」
お金を稼いで、美味しいと評判のお店を探して、オデットの好きなものを頼むのだ。楽しくお喋りをしてお酒を飲む未来を私は思い浮かべると、自然と顔が笑っていた。
「シルヴィアからの誘いだったら、いつでも大歓迎よ」
こうして私のアードラー帝国までの大冒険は始まったのだった。
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