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「やるなあ、俊介」
「あたぼうよ。サッカー部万年補欠で、キャッチボールで暇潰しをしていたオレの肩を舐めるなよ」
「いや、キャッチボールしてたから補欠なんじゃないか?」
とにかく、俊介のピッチングを見てコツを掴んだオレは、もう一個の蜜柑を手に取った。
「よよよよよよよ、よし、もっと蜜柑を投げて気を引こう」
「投げる理由が完全に、好きな子にちょっかい掛ける小学生の図じゃねえか!」
オレは「はあっ!」という掛け声と共に、腕をしならせて蜜柑を投げた。今度は、しっかりと狙いをさだめて、全身の筋肉を使って。
先ほどの失敗など気にしない、見事な修正力だった。
蜜柑は一直線に飛んでいき、女の頭に…、当たらなかった。
当たる直前で、女が素手で受け止めたのだ。
「え…」
「あれ…」
「………」
女が、畦道からこっちを見上げている。
次の瞬間、女は掴んだ蜜柑を皮ごとガリリと噛むと、錫杖を握ったまま駆け出して、小道を駆けあがりながらこちらに向かってきた。その目は吊り上がり、時々道端で遭遇する猪のようにギラギラと光っていた。
オレの背筋に冷たいものが走る。
「俊介! 逃げよう!」
「おう!」
二人で踵を返すと、女と反対方向に走り出す。
オレの足に、地面から剥きだした蜜柑の根が引っかかった。
「あ…」
盛大にぶっころび、顔面から地面に突っ込んでいた。
「いてて…」
顔を上げる。強く打ち付けたせいで、鼻の奥がツンとした。幸い血は出ていないようだ。
俊介は既に棚田の頂上まで上り切っていて、藪を背景にしながら、「早く早く!」とオレを急かす。
オレもすぐにあいつの元に走ろうとしたが、立ち上がった瞬間、右ひざに激痛が走った。
「いてえ!」
見ると、学ランのズボンの膝の部分がこけた拍子に裂けていて、膝小僧を盛大に擦っていた。
遅れて血がダラダラと流れる。
「や、やべえ…」
傷つくこと自体は慣れていたが、やはり痛みは人の思考と動きを鈍らせた。
なんとしてでも俊介の方に。
そう力強く思った瞬間。
「この餓鬼!」
「ぐへえ!」
オレは背後から殴られて、また、顔面を地面にめり込ませていた。
オレに追いついた女は。清楚な見た目とは想像のつかない罵声を吐きながらオレの頭を足袋で踏みつけにした。
「私の傘を蜜柑で汚しやがって! これ、十五年前に出会った佐々木さんにもらったばかりなんだぞ? 金じゃ買えないんだぞ!」
オレの頭を踏みつけにする。踏みつけにする。踏みつけにする。
「おら! 顔を上げろ! いつまで転んだままでいるの!」
「………」
オレの頭を踏みつけにする。踏みつけにする。踏みつけにする。
「なに黙ってんのよ! 今時の子供は『ごめんなさい』の一つも言えないの!」
「………」
いや! あんたのせいで顔が上げられないんだよ!
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