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十分後、やっと理不尽な暴力から解放されたオレは、顔を泥まみれにして、鼻から血を流しながら蜜柑の木の下に正座させられていた。
女は「まったく!」と、オレからはぎ取った学ランの上着を使って、自分の顔面に付着した蜜柑の果汁を拭き取っている。
「あの…」
オレはそっと手を上げた。
「さすがに、やりすぎじゃないですか?」
「ええ? なんで? あなたが蜜柑をぶつけて来たから報復しただけじゃない。因果応報って言葉を知らないのかしら?」
旅人は先ほどに比べて、随分と女らしい口調に戻っていた。
近くで見ると、やはり若い印象だ。声の質とか、頬の張りといい、十八歳くらいだろうか?
「まったく、信じらんない! 人に蜜柑を投げる奴があるかしら! 乱世なんて、果物なんて高級品よ? 私、食べ物を粗末にする人が一番嫌いなのよね!」
「人に暴力振って、みぐるみを剥ぐ人は嫌いじゃないんですか?」
「大っ嫌い」
旅人は、蜜柑の汁でべたべたになった学ランをオレに投げた。
「だめだわ。べたべたが取れない…、着物にもついちゃったじゃない! これはもう捨てるしかないわね。あーあ、結構気に行ってたんだけどなあ。もう佐々木さん生きてないのに…」
「ごめんよ」
まあ、投げたのは俊介だけどな。
すると、女は思い出したように手を叩き、オレの顔にぐっと顔を近づけてきた。
水晶のようにころんと透き通った目を視線が合う。
オレは心臓がどきっとするのを感じながら、女の話に耳を傾けた。
「あなた、この村の人間でしょ? 少し聞きたいことが…」
「うううううううううん、そうだけど…」
「動揺しすぎでしょ!」
俊介と同じつっこみ。
女は呆れたような顔をして、もう一度聞いた。
「いい? あなたは、この村の、人間、でしょ?」
「そそそそそそそそうだよ」
「あい、わかった。この村の人間じゃないってことね。邪魔したわね」
「いやいや! この村の人間だから! ちょっとシャイなだけだから!」
オレは踵を返して立ち去ろうとする女を引き留めた。
「オレの名前は、笠本克己。この村の人間だよ」
その証拠にと、オレは学ランの袖に着いた校章を女に見せた。すぐ近くにある中学のものだ。
オレがこの村の人間であることを確認した女は、「そう、よかった」と、蜜柑の汁で汚れた胸を撫でおろし、オレに名を明かした。
「そう、よかったわ。私は天野。旅人よ」
「旅人…? 四国参りの礼所なら、下の道を戻って、まっすぐ行けよ。あんたが進んでいた道を行ったって行き止まりだ」
「誰が四国参りの話をしているのよ」
「いや、その恰好、完全に四国参りだよな?」
着物に、藁で編んだ傘。おまけに錫杖ときたもんだ。
「馬鹿ねぇ。四国参りなんて、大昔に回っているわ。今みたいに、道路が舗装されていない時代にね」
「さっきから何言ってんの?」
「話が聞きたいって言っているの!」
天野と名乗った女は、オレの額を思い切り小突いた。
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