初恋ヒート

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 新しい言葉を学んだ。それは『初恋ヒート』。  初恋をすると、熱が高まって興奮するらしい。そんな症状があることを保健の授業で習った。初恋なんてかわいい名前をつけても、その症状は初恋相手にしか止められないと言うのだから相手に振られたら最悪だ。 「嵐馬(らんま)嵐馬ってば! やられてるって!!」  聞き慣れた声で現実に戻った。テレビ画面には『You are Dead』の文字が大きく映っている。ああ、そうだ。俊哉(しゅんや)にいの家でゲームしてたんだった。 「あ、ごめん。ボーッとしてた」 「最近、ずっとそんな調子だよな。何か悩みごとでもあるのか?」  何も知らない俊にいは熱でもあるのかって言って、おでこに手を当てようとしてくる。 「や、やめろよっ……! 何もないって」  親同士で仲がよく、引っ越したマンション先も隣だった。ベランダに出れば部屋の明かりで様子もわかるお隣。家にいるかいないかは気配でわかるので、よくお互いの家に遊びに行った。今もそう、俊にいの家で最近発売されたアクションゲームをしている。 「そんな元気があれば大丈夫だな」  爽やかな俊にいの笑顔は目に毒だった。保健の授業を受けて以来、俊にいのことを変に意識してしまったせいで、いつも通りの自分が思い出せないでいる。顔は赤くないかとか、会話の内容よりも自分の表情が気になっていた。 「そうだよ、俊にい考えすぎ」  ゲームのコントローラーを置いて背伸びをする。そうだ、自分も考えすぎ。初恋ヒートなんて早々かかるはずもない。 「嵐馬、のど渇いたよな。なんかジュースでも取ってくるわ」  俊にいが部屋を出て行った。部屋に一人残されたら広く感じる。もう一度、コントローラーを持つ気力はなくて部屋を見回した。俊にいとは年が二つ離れている。年が離れているということは、お互いに知らない世界があるわけで普段見えない様子を部屋を観察しては探っていた。  年の差を意識し始めたのは高校生と大学生になってからだった。今まで朝から夕方までは学校という生活リズムが合っていたのだが、大学生は曜日によって授業が違うため少しずつ狂い始めていた。 「嵐馬、見てこれ新作のジュース」  俊にいがペットボトルのジュースを持って戻ってきた。新商品と言っても高級フルーツを使ったジュースで手を出したことはなかった。俊にいは夜勤バイトを始めてから身振りが変わった。 「俊にい、これ高いやつだろ。いいのかよ」  渡されたのはイチゴミルク。だけど、あまおうが入っているらしくて普通のイチゴミルクより数百円高いやつ。高校生のバイト代では手を出せずにいた。 「いいの、いいの。俺が嵐馬に飲ませたかったから」 「あとで、返せとか言うなよ」  一口飲めば甘酸っぱい味だった。 「あ、これ普通にうまいわ」  甘酸っぱい味だけど嫌いじゃない。そう感想を伝えれば、俊にいは飲みかけのペットボトルをよこせと言わんばかりに手を伸ばしている。俊にいにペットボトルを渡せば、ためらいもなく飲みかけのイチゴミルクを飲んだ。 「あっ……」  心の声が口に漏れてしまう。今までだって、回し飲みは当たり前だったのに保健の授業を受けて以来、価値観が狂ってしまったようだった。 「甘いな」  俊にいはそう言って、ペットボトルを返してくる。もう一度、口につけようか、それとも我慢してペットボトルのキャップを閉めてしまおうか悩んでいれば首筋に汗が流れた。さっきまで、部屋の温度は快適で何も思わなかった。それなのに、今度は額から汗が止まらない。 「あ、これって初恋ヒート……?」  ドッ、ドッ、ドッ、と胸が高鳴り汗が止まらない。自分ではコントロールできなくなった症状に頭の中がパニックに陥ってしまう。 「え、なんて?」  俊にいには聞こえなかったらしく、近づいてくる。 「ご、ごめん。ちょっと熱っぽいから俺帰るわ」  俊にいをはねのけて、部屋から出ようとした。だけど、うまく力が入らない。いや、好きだからこそ強く押し出すことができなかった。俊にいが拒絶しない限り、この部屋から出ることができない。 「それならここで休んでけって。おばさん、今日仕事で夜遅いだろ」  昔から俊にいは兄貴のように優しかった。小学生の時、熱を出して一人で留守番をしていても俊にいは嫌な顔をせずに傍にいてくれた。つらい時に傍にいてくれる俊にいを好きになるのも時間の問題だった。 「もう、俺だって大人になったんだから平気だってほっといてくれよ!」  ただでさえ、生活リズムが少しずつ狂い始めているのに、これ以上関係性を崩したくなかった。 「そっか、そうだよな……嵐馬も大きくなったもんな」  てっきり、俊にいはそれでもグイグイ押し出してくると思ったのに反応が違った。珍しく、一歩引き下がってくる。 「あ、えっ……」  急に突き放されたような気がした。なんだか悲しくなって、受けてもないのに頭に衝撃が走ったような感覚があった。熱かったはずの身体は徐々に熱を失っていく。  こんなはずじゃなかった。
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