美人好みの坊主

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 私はとある片田舎の寺院に生まれ育ち、檀那寺なので寺の維持費の他、自分個人に関してもどんな購入費も学校の入学費も学費も結婚費用も何から何まで檀家の布施で賄われる。  そう、私は坊主でありながら既婚者であって美人の大黒に加え早世した父の跡を継いで住職の座を手に入れた。そもそも私の宗派の浄土真宗は肉食妻帯が許され、禁欲を必ずしも良しとしない。寧ろ苦悩の根本原因は煩悩にはなく、もっと深い苦悩が他にあり、煩悩あれば菩提ありで性欲物欲に即した生活の中で悟りを開けると考えられている。だから肉欲妻帯が容認されている。  徒に南無阿弥陀仏を唱えていれば悟りを開け幸せになれ成仏できると信じさえすれば良いのである。門徒物知らずで家の大黒様もそう信じて只管念仏を唱えるしか能がない門徒だった。ま、家の仏教も所謂葬式仏教でまるっきり形骸化していて、その点、浄土真宗は誤魔化すには都合が良いもので南無阿弥陀仏一つ唱えるだけで開祖親鸞の教えを忠実に説くかの如くお茶を濁せる。  然るに相も変わらずお布施で養われ、皆から尊敬され、羨まれ、実に楽ちんで良いようだが、好事魔多しとは正にこの事、美人薄命で大黒と死別して独り身となってしまった。愛別離苦。この上ない苦悩。煩悩より深い苦悩なぞある筈がない。私はそう悟るに至った。実に三十三の歳であった。  そんな折、或る檀家の後家が娘を連れて夫の三回忌を行うべく寺を訪問した。納骨堂で参拝した二人を私が本堂で誦経する支度が出来るまで待機させる庭向きの部屋に寺男が案内した後、私は支度をしながら美人親子への並々ならぬ思いを募らせた。それまで境内における彼女らのしめやかな立ち居振る舞いを庫裡の窓から眺めていた私は、厳粛な着物に身を包んだ柳腰の枯れ行く母の美しさも捨てがたいが、一段と美しさを増した娘に一方ならず惹かれ、彼女を口説く手立てはないものかと考えない訳にはいかなかった。  三年前、父の葬式に参列した時、彼女は、まだ十八歳で当時から母に似て美しかったが、その時より頬の肉が程よく削げ、シュッとした顔立ちになり、体つきもタイトなワンピースを着ているお陰で円やかに膨らむべき所がよりむっちりとしたのが分かり、それでいて背が少し伸びてスラリとした印象を受け、美しさに磨きがかかって全く以ていい女になったものだと思った。  私は本堂に彼女らを招く段になると、坊主だてらに胸が高鳴るのを恥じ、赤面したのを自分でも感じる程、火照った頬が冷めた頃合いを見て、つまりは好い加減に誦経を済ました後、二人と話す機会を設けた。 「日本の仏教における年忌法要は追善供養のために営まれますが、浄土真宗では仏法に触れる機縁の法要と申しましてな、これも何かの機縁になれば良いとこう存ずる次第であります」  二人は顔を見合わせた後、曰くありげに私を見た。 「旦那さんが亡くなられてはや三年。立ち入ったことをお聞きしますが、家計の方はどうですか?」  後家さんと娘さんは申し合わせたように俯いてしまった。 「ああ、お察しします」と私が痛み入るように言うと、後家さんは私に縋る勢いで言い寄った。 「和尚様、この子を門徒としてお迎えになり済度なさってくださいまし」  この後家さんは信心深い門徒と言うより密かに私に心を寄せるようになり下心ありありだから全てを察した私は、ほくそ笑んで言った。 「いきなりそう頼み込まれる所を見ますと、何か訳があるようですな」 「はい、折角の機会を与えてくださったからには白状いたしますが、実はお恥ずかしながら家計を支える為とは言え、この子がパパ活女子になってしまいましたので私はいけないいけないと思いつつも見逃していたことを今になって悔やまれてなりません・・・」 「ああ、分かります」この後家さんはいっそのこと娘を私に嫁がせようとしているのだと私は鋭敏に察知して恥ずかしそうに俯いた儘の娘に言った。「娘さん、仏様に帰依して穢れを濯ぐ生活というものを私としてみませんか?と言ってもお堅いことは一切ない上、食うには困りませんよ。お母さんも楽にしてあげられます」 「あ、あのー」と言いながら娘は顔を徐に上げ、憚りながら私のイケメンを見ると、思わずにやっとした。「それはどういうことでございましょうか?」  私はこうもとんとん拍子に話が運ぶことが娘の妖花を見つめながら怖ろしく感ぜられる程だったが、私に特別に与えられた生まれつきの運というものを強く意識しながら言った。 「それはつまり私があなたとあなたのお母さんを受け入れ、我々が皆様から恵みを受けるということです」  すると、二人は顔を見合わせ、生々しくにんまりした。そして二人して私に嬌笑を向けた。これが持てる坊主の性なのか・・・人は自分の欲望や虚栄心を満たす為には他人から見て愚かで道理に合わぬことを分かっていても引っ込みがつかなくなってするものである。そして同じ過ちを繰り返す。  という訳で今日から私は一回り下と上の女と家族になると同時に愛人関係を結んだようなものだった。  と言うのも後家さんは娘さんを私に嫁がせ、私の義理の母になれることによって私を年下の夫と見ることが出来、夫を亡くした侘しさから逃れられるのみならず、あわよくばと望んでいた訳である。いやはや、幾らなんでもどういう寺なんだよ!  
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